捨てたもんじゃないゾ、ニッポン人
地下鉄コーヒーぶちまけジケン 1分半で読めるエッセイ
私は東京の地下鉄東西線を利用して通勤している。始発駅中野から乗る。
これは数年前のある朝の話である。かつてフェイスブックでも紹介したが。
中野駅で出発前、5分程度の停車時間がある。その朝もいつも通り、座席がほぼ埋まったか、という状態だった。7:40くらいである。
その日は、なんと乗客の一人が、コーヒーを床にこぼしてしまった。カフェサイズのコーヒーを、ちょっとだけ床に置いて、倒してしまったのだ。かなりの量が床にだーっと流れた。
そのときだった。
座っていた乗客たちが、せわせわとティッシュを取り出し、おのおの床を拭き始めたのだ。声もなく。こぼしてしまった人だけが、作業をしながら「すみません、すみません」と繰り返していた。(私もちょこっと参戦したよ(笑))
やがてほとんど拭き終えたとき、一人の男性が新聞紙でさーっと仕上げをしてくれた。新聞紙、イマドキよく持っていたものだと思った。
さらに一人がポリ袋を取り出し、拭いたティッシュだの新聞紙だのが回収され、こぼした人がそれを持って、一連の作業は終息した。
この間ほんの2~3分だったろうか。作業の後、何事もなく乗客は静かに座り、地下鉄は何事もなかったかのように出発した。次の駅から乗った人々は、何も気づいていなかったと思う。
サッカーワールドカップで、日本代表チームは控室をきちんと掃除し、サポーターはできるだけゴミ拾いをして帰ると聞く。
これは日本人の良き習性だと思う。
少なくとも、地下鉄コーヒーぶっちゃけジケンに遭遇した私。
聞くのと関わるのとは大違い。
なんて気持ちのよかったことか!
放っておけば臭うしすべるし、良くないから拭くよ、という考え方をすることは、今何をすると快適に過ごせるか、という現実的な合理性の現れのように感じる。サッカー場も同じなんじゃないかなと思う。
「プロの掃除係の人の仕事を奪っている」と揶揄する人もいるが、それはどうだろう。仕事が減って得になりそうな気もする。掃除したエリアで賃金が決まるとは思えない。その日だけ日本人がやってくれてラッキー、なんてことでもいいんじゃないかと思う。
日本人の習性が、世界に通じる美点であるならば、素直に押して行けばいいのであって、曲がった視点を持ち込まなくてもいいだろがと、本来「アマノジャク」なくせに思うのであ~る。
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