〈セカイ系〉をキーワードにアニメ・音楽・アート・哲学などを横断的に扱う評論アンソロジー『ferne』を主宰する、北出栞と申します。 2021年より始めたこの活動の集大成ともいえる単著『「世界の終わり」を紡ぐあなたへ――デジタルテクノロジーと「切なさ」の編集術』が、このたび出版されることになりました! 装画はミュージシャンとのコラボも多数のアーティスト/アニメーター・米澤柊さん、装丁・本文の文字組は『いなくなれ、群青』など文芸・漫画を中心に多数の本を手がける川谷康久さんがご
「科学」という言葉は、自分にとって薄い水色をまとったものとしてイメージされる。計算式で理解することはできないが、世界は確かにそのように成り立っているらしい、というぼんやりとした確信。たとえば宮沢賢治や藤原基央といった詩人は宇宙や鉱石の話をよくするが、彼らが研究者レベルで専門的な知識に長けているということはないだろう。むしろ曖昧な理解に基づいているからこそ、詩情や余白が生まれ、何なら本職の研究者の胸をも打ったりするのだ。 自分はそういう人たちに憧れながら、多少は専門的なことを
「労働」が単に現実へ肉体と時間を差し出すものなら、「仕事」は自らの意志とアクションが矛盾することなく結びついた、現実への主体的な働きかけだ。 自分にしかできない「仕事」って何だろうと考えたときに、概念の再配置、交通経路をつくることなんだろうなと思う。で、それはやっぱりメディアとか批評とか呼ばれたりするものなんだろう。 エンジニアやアーティスト(いずれも広義)になりたかったけど、なれなかった。だけどそういう人たちのやっていること、考えていることにはすごく関心がある。 単な
2020年代に入って、にわかに「世界の終わり」という言葉が身近なものとなったような気がする。疫病、戦争、気候変動。しかしそんな中でも日常生活は続いていき、だからこそ思いやりとか、人間性をいかに保つかということが、これまで以上に問われている。 テクノロジー領域に目を向ければ、より以前から事態は進行している。GAFAと呼ばれる巨大なプラットフォーム企業によって、収奪される個人情報。広告主にそれを売りつけられる私たちは、無意識のうちに情報商材……つまりモノ化されている。生成AIの
2023年11月26日、ウェブ漫画『ちいかわ』のエピソード「島編」が完結した(まとめは以下のページから読める)。 同年3月から、作者・ナガノ氏の体調不良による休載を挟んでの約8ヶ月間という、同作品でも異例の長期連載となった今シリーズ。 謎が謎を呼び、新たな登場人物・視点の追加により真相が多段階的に明らかとなっていく展開は極上の閉鎖空間ミステリをも思わせ、かねてより評価が高まっていたナガノ氏のストーリー漫画家としての手腕がいかんなく発揮されたシリーズとなった。 「島編」と
2023年11月11日(土)、音楽評論アンソロジー『ferne ZWEI』(読み:フェルネ ツヴァイ)を刊行します。 本書籍は、音楽・アニメ領域をメインに編集者・ライターとして活動する北出栞(筆者)による個人出版プロジェクト『ferne』の第2号(前号の内容は以下のリンクより)。 〈セカイ系〉という言葉を「大切な誰かとの関係」と「世界の終わり」を等価に扱う概念として再解釈し、疫病と戦争の時代となった2020年代の文化を考えるキーワードとして位置づけた『ferne』。2年ぶ
正直に言おう、コロナの時代は楽しかったと。 外に出られないからこそ、個人が「声」をメディアにできるClubhouseやTwitterスペースが盛り上がって、ポッドキャストなんかも面白かった。VTuberの長時間配信を観るようになったのもこの頃だ。 直接のコミュニケーションには積極的でない人間でも、趣味を同じくする人と交流するのが簡単になった。全員が同じ土俵の上に立つようになったからだ。また、そこでできたつながりが、半年に一度の文学フリマという場で本という形をとって一気に爆
最近は「Twitter」の終末に接して御多分に漏れず「分散型SNS」のことを調べていて、なかなか難しい概念だなと頭を悩ませていたのだが、ふと、これは「ぽんぽこ24」に近いのではないか? と思ったのだった。 8月20日夜に本年度版が無事終幕した「ぽんぽこ24」は、個人勢VTuberの「甲賀流忍者ぽんぽこ」と「オシャレになりたい!ピーナッツくん」のコンビ「ぽこピー」による2018年から開催されている名物企画で、今回でVol.7を数える。黎明期からのコネクションを活かして個人勢か
上記のようなコンセプトで企画されたこの展覧会は、入場してすぐの部屋中央に配置された「立体折り紙」のような作品の制作プロセスを、別の形式で展開したらどうなるか? という思考過程を経ることで、他の映像作品や詩+生成AIを用いたコンピュータグラフィックスの作品といった多彩なバリエーションの作品群が生まれた、というプロセスを経ているという。 作家には展覧会というものに対して「すべてが現在のなかで操作可能な変数になってしまった時代において、異なる時間感覚を再起動する装置であってほしい
一週間の長期滞在で、25年ぶりにドイツの地を踏んだ。90年代の半ば、父の赴任に伴って幼稚園の年長〜小4までデュッセルドルフという街に住んでいて、そこでの生活は自分の美意識に大きな影響を及ぼしている。標識や看板・日用品のパッケージに至るまでの質実剛健を良しとするデザイン性、沈黙を美徳とする文化、日常の中に「神」がいるという感覚……それらが一緒くたに「ドイツに住んでいた」影響として認識されていたのだけど、しかし今回そう単純なものではないことがわかった気がする。 ひとつの体験をピ
2022年秋より太田出版さんのウェブサイト「OHTABOOKSTAND」にて連載をさせていただいているのですが、数回書き続ける中でようやく自分の中で〈セカイ系〉というタームを使って立ち上げたい理論のようなものの輪郭がおぼろげに見え始めました。そこで、このタイミングでこれからの執筆にあたってコアとなりそうな文献をまとめておこうと思い立った次第です。 以下に挙げたもの以外にも、部分的に影響を受けたり批判的に重要と思っている文献はたくさんあります。しかし、ここではポジティブな意味
この夏から「にじさんじ」を追っている。グループの顔役と言えるだろう月ノ美兎は長引くリモートワーク生活のお供に昨年あたりから観るようになったが、他は特に観ていなかった。今年に入って月ノ美兎が長期の配信活動休止、それと前後して一般層への特大バズも獲得した壱百満天原サロメが登場。メタフィクション的仕掛けを自身の存在に組み込んだアルタ前ジャックなどで以前から興味を持っていた黛灰のラストランを見届け、ほどなく始まった「にじさんじ甲子園」でライバー(そう呼ばれることもこの時知った)の関係
なんで「ロボットもの」……というか、「ヒューマノイドとのラブストーリー」が苦手なのかを考えていたら、自分の根幹の価値観に触れている理由が見えてきたので書き留めておく。 ヒューマノイドというのは人造物である以上、「存在する理由(用途)」というのを決められてデザインされていて、その役割に殉じることが存在理由なのだけど(トートロジーですね)、「ヒューマノイドとのラブストーリー」においては、そうであったはずのヒューマノイドに「心」が芽生えて、相手役の人間との「愛」を知ることで別れが
アプリ『マギアレコード』第2部〈集結の百禍編〉が完結を迎えそうです。アプリ自体は5周年、第2部は2019年の開始から3年を数えて、現在最終章となる12章の前編が配信されています。 ずっとメインストーリーを追っているファンからは、アニメ化された部分に相当する第1部よりも面白いとの声も多く(自分もそう思います)、今からでも追いついてほしい、リアルタイムですごいものを見せてくれると思うから……と熱い推薦の声をちらほら目にするのですが、どうにもファンコミュニティの外側には十分に伝わ
『映画を早送りで観る人たち ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形』(稲田豊史著、光文社新書)という本を読んだ。ストリーミング配信の普及で広まった「倍速視聴」「飛ばし視聴」といったスタイルに対して、SNS社会特有の「これを観ておかなければ人間関係にも支障を来す」という同調圧力、貧困を背景にした可処分時間の少なさなどが背景にあるという仮説をもとに切り込んでいる。多数の学生、クリエイター、業界関係者へのインタビューも盛り込みながら、世代論一辺倒にならない記述が慎重に心が
これから書かれる文章は、「BUMP OF CHICKENと〈身体〉」というテーマで書き連ねられる。BUMP OF CHICKENと〈身体〉。人によっては、最も遠く感じられる2つの単語なのではないだろうか? 宇宙や幼少期の記憶をモチーフとすることの多いクリアでイノセントなイメージが広く共有されているだろうし、メディア露出も少なく、ライブパフォーマンスにおいてフィジカルや演奏テクニックを前面に押し出すようなタイプのバンドでもないからだ。 しかし、私たちは最近、BUMPの〈身体〉