残された時間をどう過ごすか?

 がん治療を開始した頃は、「ついに」こうなったか、という思いで、先々の不安が先行していた。平均余命は約5年。治療の初期は、早く良くならないだろうかという思いで焦っていたのかもしれない。涙が出て止まらない日もあった。

 体調の良いときは、将来のことを考えることができるが、体調の悪い時は過去や現在のことを考えるのが精一杯。現在の境遇を悲観し、過去の行動を悔やむことが多かった。どうして、こんなふうになってしまったのか。なぜ、あのときあんなことをしたのだろう。なんて、自分は不幸なのだろうと考えてしまう。それは、あたり前のことだと感じる。

 「自分がこれから何をしたいのか」それを考えて、頑張るのではなく、楽しく日々一生懸命生きていくことが大切だ、とよく言われる。でも、なぜ、今の境遇があるのかさえよく分からない。何が本当に自分にとって楽しいものかもわからない。そんな状況で答えが出せようがない。

 先日、図書館で「がんで不安なあなたに読んでほしい。」(清水 研著)に目が止まり、借りてすこしずつ読んでいる。清水氏はがん研有明病院の精神科医で、多くのがん患者の悩み相談に携わってきた方だ。その中で、「『自分はこれをしたいんだ(=want)』という明確な答えは出てこないかもしれませんが、焦ることはありません。まずは、mustの呪縛をやめていくと自然と「あれがしたいなあ」「これもしたいなあ」という気持ちが湧いてくるのではにでしょうか。」との記述がある。

 そういえば、あれをしなくちゃということは多い。mustは確かにある。でも、mustができなくなって嫌悪感があるのも確かだ。自分では、元の自分に戻りたいという欲求が残っている。そして、かつてのmustを再び、つくり始めている。それでも、いいのかも知れない。「できることをやる」「したいことができるようにする」、そう思い、わがままに、日々を重ねることができるだけ幸せだと思う。

 残された時間が少ないと思うことは、この世に生きている間しか考えていないことからくる。かつて、輪廻転生の本を読んだときに救われたのは、死後にまた生まれ変わることになること。その時は、現在、頑張っていることが生きることになる。そう信じていれば、いま、頑張っていることは無駄ではないということだ。

 頑張らないいで、楽しんで生きることで救われることもあるが、頑張って生きている、もがいていることも来世の自分のために無駄ではないと思いつつ生きていくことで救われるのではなかろうか。みんないつかは死んでいくのだから。その先をみつめて生きてもいい。歎異抄では、「悪人」も仏は助けてくれるそうな。「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」である。

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深山幽谷華自紅
貴重なあなたの時間を、私のつたない記事を読んでいただく時間に費やしていただきありがとうございます。これからも、地道に書き込んでいこうと思いますので、よろしくお願いします。