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管理職を打診されてから変わった結婚観
最近、月に1度は結婚報告を受ける。
結婚報告と言っても、個人的な連絡ではなくて、SNSで知る感じ。
絶妙な距離感。多分、複雑な思いを抱いてしまいやすい距離感。
「あ、この人は結婚するという幸せを選んだんだな」
今ならそう思える。
結婚ラッシュの前に、この思考を手に入れていてよかった。
そうじゃなきゃきっと、「彼氏に結婚の圧をかける女」になってしまってた。
中高生時代は置いておくとして、大学生のときもそれなりに「結婚」というワードは意識していた。
当時お付き合いしていた彼から「いつか結婚したいね」なんて言われたらもうそれだけで有頂天。
舞い上がって、一から十まで友達に報告しちゃう始末。
大学時代は、2、3歳上の先輩の結婚もあったりと何かと結婚がリアルになり始めた時だった
友達とも誰が1番早いかな〜なんて話で盛り上がっていた。特に地元の友達に久しぶりに会ったりなんかすると、話の内容なんて毎回それ。
そんなある日、彼からあるスプレットシートが送られてきた。
中身はなんと、人生年表。
1番上の行には西暦がズラーっと並べてあった。
そしてその下には彼と私それぞれの年齢。
そして、ご丁寧に私が25歳の欄に結婚、26歳第一子、30歳で第二子・・・
何処かから得てきた子どもの年齢は4歳差が育てやすいらしいなんて情報を鵜呑みにしていたらしい。
今考えると私の人生勝手に決めないでください、の一言に過ぎないが、盲目な私にとっては一大事。
冷静なフリをしつつも内心ではキャーキャー騒いだ挙句、ふと冷静になった時の思考回路、お決まりの「私はこの人と結婚するのか?待てよ?」で別れることになったのだから、女は恐ろしい。
まぁ、そんなこんなで大学時代が終わり、社会人。
入職した年は、結婚ラッシュだった。
先輩方が次々と結婚していく。
先輩から結婚とか考えるの?と聞かれた私は「30までに子ども産みたいなって思います」なんて答えたりもしていた。
理由は30歳を過ぎて出産すると、子どもが障害を持って生まれるリスクが上がるから、ただそれだけ。
当時の私にとっては、結婚=出産だった。
熱しやすく冷めやすいところがある私は、夫婦2人でずっと愛し合っていける自信っていうものがなくて(そもそもプロポーズもされていないくせに何を生意気な、と今なら思う)子どもという存在にすがろうとしていたんだと思う。
結婚をするのは子どもを産むためだとすら思っていた。
「子育ては人生最大の暇潰し」なんていう言葉にも妙に納得していた。
「結婚はするもの」そんな偏見にまみれていた。
何かと「自己研鑽」を求められた1年目。自己研鑽なのにどうしてこうも圧力をかけられねばならないのか、自己研鑽という言葉が嫌いになった。
家庭のある先輩たちは家の用事や子どもの都合を理由に研修を断っている。
家庭があれば、上司もそれ以上何も言えないんだな、結婚は自己研鑽から逃げる言い訳になるのか、などと幼稚な考えも浮かんだ。
「仕事」か「家庭」か
管理職を打診されてそれを受けると決めた私に、一番悩んだのは、正直この問題だった。
私は結婚できるの?子ども産める?ちゃんと産休育休とれる?全て仕事に費やせなんて言われないよね?自分の人生謳歌できるよね?プライベート大事だよ??
こんな2択の風潮は、今もある。ぜんぜんある。
バリバリ働く女性が、自ら「私は仕事に生きるんで」とか言っちゃってたりする。
まだ社会に出たばかりで、「結婚したい〜〜💏」なんぞほざいていた私には、すごく大きな問題だった。
悩んだ私は、何を思ったか逃げ恥を見た。
私の中では、石田ゆり子演じる「ゆりちゃん」が主人公だった。
どちらかというと考える前にまず行動というタイプだと自認しているのだが、当時の私は「その時に考えられうる最悪の状態」を想定しておくことで自分自身に保険をかけたかったのだと思う。
逆に、当時の私にとってはそうでもしないと抱えきれないほど大きな問題だったのだろう。
つまり、ゆりちゃんという、結婚せずにバリバリ仕事をして独身を謳歌している人間像を見ることで(もちろんゆりちゃんにもいろんな葛藤があるのだが)自分の人生何が起きても楽しめる!!と自己暗示をかけようとしたのだ。
結果は大成功。想像以上だった。
私はやっと
「自分の幸せは自分で決める」という当たり前のことに気づいたのだ。
結婚する幸せもあれば、独身でいるという幸せもある。そんなのは自分で決めることだ。
早く結婚して子どもを産むのが幸せだっていう考えを、時代遅れだなぁと馬鹿にしつつそれに囚われていた自分。
結婚できなかった人、子どもを授からなかった人、そういう目で見られたくない、と周囲ばかりを気にしている自分。
そんな自分に気づいた。
それに気づいてから、私の心は格段に楽になった。
結婚報告が次々と来たって、素直に祝える。
あなたは結婚する幸せを選んだんですね、って。
すごいな。私はまだそこまで決断できないんだ、またお話聞かせてね、って。
強がりでもなんでもなく、そう思える。
価値観って恐ろしい。
自分の考えが正解だって、いつの間にか思い込んでしまう自分がいる。
近しい存在に対して、それを押し付けようとしている自分がいる。
怖すぎる。
価値観のアップデートをし続ける人でありたい。
老害、って奴にならないように。