
時を操る殺人鬼③
第3部: 「運命の切り札」
エピソード 3: 鍵を握る証拠 - 「時間操作の限界」
桐生凌は密室殺人事件の調査を続ける中で、ただの一件の不可解な事件に引っかかっていた。初めは、ありきたりな殺人事件だと思っていた。だが、事件の詳細に触れるうちに、単なる殺人事件ではないことに気づき始めた。被害者の死因や現場の状況からは明らかなヒントが見つからなかった。ただひとつ、奇妙な点があった。それは、事件現場に残されていた血文字――「刻限(ときのしまつはすでに決せり)」という文字だった。
桐生はその文字を見た瞬間、背筋を冷たいものが走るのを感じた。血で書かれたその不吉な文字には、どこか深い意味が隠されているような気配が漂っていた。直感的に、これはただの犯人の挑戦状や挑発ではない。何かもっと大きな、そしておぞましい力がその背後に潜んでいるように感じられた。
桐生は、その文字が事件のキーになると確信し、過去に起きた類似事件を調べ始めた。事件ごとに、不可解な点がいくつも浮かび上がってきた。それらの事件の共通点は、単なる偶然では済まされないほど強く結びついていた。
最も奇妙だったのは、すべての事件において被害者の死亡推定時刻が物理法則を無視していることだった。例えば、ある事件では、現場に到着した警察が死亡時刻を確認したとき、時計の針がその時点から3時間以上遅れていたことが記録されていた。別の事件では、死体の冷却が完了するべき時間を過ぎても、遺体が異常に温かかったというのだ。それだけではない。現場で発見された他の証拠にも矛盾が多く、死亡時刻を記録した時計や携帯電話などが、どれも一貫して「不自然」な時間を示していた。
桐生はその情報を繋げていくうちに、次第に恐ろしい予感が胸の中で膨れ上がるのを感じた。時間に関わる異常現象、そしてそれが一つのパターンを成すことに、桐生は見過ごせない何かがあると直感した。もし、これらの事件がただの偶然や人間の犯行によるものならば、こんなにも時系列が絡み合うはずがない。
「これには何かがある。」
桐生は声に出して呟くと、再び事件の資料を見返しながら、少しずつその謎を解いていこうと心に決めた。ひとつひとつの証拠を冷静に辿りながら、彼の心の中で疑問が深まっていく。それは、この世のものではない、またはこの世界のルールを超越した力が関わっているのではないか、という疑念だった。
桐生がその調査を続けるうちに、次第にその「何か」が明確になっていく。それは、彼がこれまで考えていた「人間の犯行」という枠組みを超えていた。事件の背後には、時間そのものを操る力、そしてそれを持つ者の存在があったのだ。桐生はその「時間操作」を手にした者が、事件を通じて何を達成しようとしているのか、少しずつ見えてきたような気がした。
桐生は全身に寒気を感じた。この謎はただの人間の犯行ではない。むしろ、その犯行が人間の常識を超えているからこそ、桐生は直感的に「何か別の力」が働いていることを感じ取った。その力が一体何であるのか、桐生にはまだ分からなかった。しかし、それを突き止めなければならないという強い思いが胸に湧き上がっていた。
桐生の頭に浮かぶのは、あの血文字「刻限」という言葉だった。その言葉が意味するもの――「ときのしまつはすでに決せり」――これは単なる事件の痕跡ではなく、事件を操作する者が、自らの未来をすでに決めているという宣言に他ならないように思えた。そして、その「未来」とは、桐生自身が直面するものになるのだと、桐生は無意識のうちに感じ取っていた。
修正された時間の隙間
桐生は「修正不可能な証拠」を探し続け、過去の事件資料を徹底的に洗い出していた。彼のデスクは、山のように積まれたファイルで埋め尽くされ、周囲には紙とペン、パソコンのスクリーンに無数のデータが散らばっていた。日夜問わず資料を掘り返し、事件を繰り返し解析する作業は、彼にとって時間との戦いでもあった。思考の疲れが体に重くのしかかる中で、桐生は一歩一歩着実に手掛かりをつかもうと必死になっていた。
何度も同じデータを見返すうちに、ある日、桐生の目が一つの記録に止まった。それは過去に起きたある事件に関するものだった。これまで桐生が調査してきた証拠の中では、目立たない部分に位置していたその記録は、他のどの証拠とも異なる特異なものであり、桐生が感じていた漠然とした疑念を、ようやく形にするものだった。桐生はその記録を一行一行、息を呑むように読み進めていった。
事件の内容自体はありふれたもので、一見すると何の変哲もないものであったが、その記録の一部に、ほんのわずかながら「修正されていない」痕跡が残されていることに桐生は気づいた。それは、事件の証言や証拠が改竄されているという他の部分とは異なり、まるで手を加えられていないかのように見える一つの細かな点だった。しかし、桐生にはその違和感が鮮明に感じ取られた。
桐生は目を凝らしてその部分を再度見直す。そこには、時間に関する記録が含まれていた。事件発生の日時や、現場に到着した警察の記録に一貫した時刻が示されているが、桐生はその中に明確な矛盾を見つけた。ある部分では、事件の発生時刻と現場に到着した時刻にわずかながらの差異が生じており、その差異がどこから来たのか、どうしても納得がいかなかった。桐生は、この矛盾こそが他の事件と繋がる「鍵」であることを直感した。
その瞬間、桐生の中でひとつの閃きが走った。それは、時間操作に関する新たな事実を見抜く瞬間だった。桐生はその「修正されていない痕跡」をよく調べると、改竄が行われたと思われる部分に矛盾が生じていたことが分かった。時間記録における小さな違和感が、桐生にとっては計り知れないほど大きなヒントとなった。
桐生はそのとき、「時間操作の限界」に気づいたのだ。事件の証拠は確かに改竄されているが、完全に消し去ることができなかった「時間の痕跡」が、ある一線を越えると、必ずしも修正できないという現象が起こる。それは、時間そのものが不正確であることを意味するのではなく、操作の仕方に限界があることを示唆していた。桐生は、時間を操る力には一定の制約があり、その制約を犯した場合、必ずどこかに誤差や不整合が生じるということを理解した。
その瞬間、桐生は完全に確信を得た。彼が探し求めていた「修正不可能な証拠」は、まさにこの時間操作の限界に関する部分に隠されていたのだ。桐生は、その限界を突き止めることで、事件の背後にある「何か」を明らかにし、次に進むための道筋を見つけたのであった。
時間の制約と反撃の計算
桐生の頭の中で、数々のパズルが一気に解けた。これまでの膨大な証拠、すべてがひとつの線で繋がった瞬間だった。彼は、今まで何度も見逃していた細かな手がかりを思い出し、それらを再び引き寄せていった。証拠を見つけ出し、それを丹念に解析する過程の中で、桐生はある記録に目を奪われた。それは葛城が持つ時間操作能力の詳細な記録であり、その記録から桐生は重大な制約を発見した。
「巻き戻し可能な時間のリミットは、最大で72時間。」
桐生はその事実を瞬時に計算に入れた。時間操作の範囲は、葛城の能力にとって最大でも72時間までに限られる。72時間以内であれば何度でも改竄でき、過去の出来事を自在に修正することができる。しかし、72時間を超えると、過去の出来事は修正不可能となり、いかなる手段を使っても変更できない。この制約が、桐生にとって大きな手がかりとなった。
桐生は、その制約を理解することで、これまでの事件のパズルの全貌が鮮明に浮かび上がるのを感じた。葛城が時間を操作して事件を改竄しているなら、その能力には限界があることを桐生は見逃さなかった。時間を逆行させることができるのは、72時間以内に限られている。つまり、それを超える過去の事実は、もはや手を加えることができない。桐生はその制約を最大限に活用する方法を、冷静に考え始めた。
「もし奴が72時間前までしか干渉できないとすれば、逆に“リミットを越えた証拠”は消せない。」
桐生は、すべてが一気にクリアになったような気がした。彼の中で、今までバラバラだった情報が一つの形を成し、反撃のシナリオが頭の中で鮮明に描かれ始めた。もし葛城が過去の出来事を72時間以内でしか操作できないのであれば、事件発生から72時間以上経過した証拠は彼の能力が届かない範囲に存在する。つまり、その証拠を徹底的に調べれば、葛城の時間操作によって消されることはない。
桐生は微笑んだ。その瞬間、彼の頭の中で反撃のシナリオが描かれ始めた。事件発生時から、73時間目以降の監視記録や証拠資料を徹底的に調べると、桐生はついに「時間操作の外側にある証拠」を発見する。その証拠は、葛城がどんな手を使っても改竄できなかったものだった。時間操作が及ばない範囲にあたる証拠が存在し、その証拠こそが反撃の起点となるものだった。
桐生はその証拠を見つけたとき、ほっとしたような、同時に興奮したような気持ちが湧き上がった。それは、葛城が自分の時間操作能力を過信し、限界を見落としていたことを意味していた。桐生は、葛城が72時間以内に仕掛けたであろう改竄を掴む前に、まずはその「時間操作の外側」にあたる証拠を押さえ、反撃の準備を整える必要があった。
その証拠は、監視カメラの記録や、事件発生後に残された足跡、あるいは当時の現場にいた人々の証言など、時間操作が及ばなかった部分に存在していた。桐生はそれらの証拠を精査しながら、次なる一手を着実に打つ準備を整えていった。
運命を覆す暗殺計画
一方、葛城は桐生の存在を、もはや「未来における敗北の可能性」として確実に意識していた。彼の未来視は、桐生との対決が避けられないことを示唆していた。葛城はその事実を冷徹に受け入れたものの、心の中で何度もその未来に対して反発を覚えていた。桐生のような存在を前にして、ただの「敗北」を許すわけにはいかない。彼の名誉、そしてその能力にかけた計画がすべて水の泡になることを想像することができなかった。
未来視の力で見えた桐生との対決の場面は、決して楽観的なものではなかった。それどころか、すべてが厳しく、桐生の手の内にあるような気配が漂っていた。葛城は、桐生が何かを掴んでいることに気づき、ますますその存在に対する危機感を強めた。「桐生がこのままではいけない、あれが成功すれば、自分の計画は完全に崩壊する」と、葛城は焦燥感を覚えた。自らが築き上げた時間操作の力をもってしても、桐生という一人の人物に対して敗北することは許されなかった。
葛城は、それを何としても回避しなければならないと決意した。未来視を繰り返すことで、桐生の行動を徹底的に分析し、彼の予測を積み重ねていった。桐生がどこに現れるのか、どのタイミングで動き出すのか、それらを一つずつ洗い出していった。彼は桐生の過去の行動パターンを細部に至るまで研究し、そこから導き出される「桐生の出現地点」と「桐生の心理状態」を詳細に予測した。
葛城の中で、桐生がどのように動くかが次第に見えてきた。そして、その予測が確信に変わる瞬間、彼はついに決断を下した。未来視で見えた「自分の敗北」の映像を消し去るために、桐生を暗殺することを決意した。その瞬間、葛城は冷徹な覚悟を持ち、すべての感情を切り捨てていった。「桐生の存在を、この手で消す。」その言葉は、彼の心の中で何度も繰り返され、確固たる決意となった。
次に、葛城は暗殺の舞台を選び出した。桐生がどこに現れるか、すべての行動予測を織り交ぜて、最も確実に暗殺が成功する場所を選んだ。桐生が過去に訪れた場所や、その行動の傾向を元に、葛城は冷静に選択を進めた。その場所は、桐生が最も警戒を緩めるタイミングを狙った場所であり、葛城はその瞬間を待つことを決めた。
さらに、葛城はその場所に関して、徹底的な準備を進めた。未来視で見える「成功の確率」を何度も確認し、桐生の動きが予測通りであることを確信するまで、すべての計画を練り直した。数日間、葛城はその場面を何度も反復し、どんな小さな誤差も見逃すことなく準備を整えていった。桐生がその場所に足を運ぶことを確認した時、葛城はもう躊躇しなかった。
すべての予測が完了し、計画が整ったとき、葛城の心に芽生えた感情は、冷徹で計算高いものであった。彼の心はすでに桐生を倒す瞬間に集中しており、何の迷いもなかった。葛城はついにその計画を実行に移す決断を下し、桐生を追い詰める準備が整った。
欺瞞の罠と影の策略
しかし、桐生はすでにその計画を知り、逆にそれを利用する準備をしていた。葛城が桐生の行動パターンを徹底的に予測し、暗殺計画を立てたことを、桐生は最初から見抜いていた。その瞬間、桐生の頭の中で計画が緻密に組み立てられた。彼は単なる反撃ではなく、葛城の予測を完全に崩し、逆に彼を罠にかける方法を考えついた。
桐生の計画は三段階に分かれており、それぞれが精緻に組み合わさっていた。第一段階では、桐生は自身に似た身体的特徴を持つ協力者を影武者として訓練し始めた。桐生の身の回りの人物の中から、最も似通った外見を持つ者を見つけ出し、その人物に徹底的な訓練を施した。影武者は桐生の行動パターンや癖を完璧に模倣することを求められ、桐生が日常的に行っている小さな動作、言葉遣い、さらには精神的な反応までをも再現する必要があった。影武者は桐生の個性を徹底的に身につけ、次第に桐生そのもののような存在になっていった。
次に、桐生は自分の行動スケジュールをわざと警察内に漏洩させた。自分の捜査活動や移動予定、事件の調査結果などを警察内部に巧妙に流し込み、それを情報網に乗せていった。警察官たちはその情報を元に桐生の行動を予測し、さらに桐生がどこに現れるのかを分析し始めた。しかし、桐生の策略はその予測を完全に誤らせるものだった。桐生は、わざと彼の行動が警察に筒抜けになるように仕向け、その中に一連の偽の捜査ルートを混ぜ込んだ。それにより、葛城が桐生の動きを予測するために基づく情報はすべて誤りに終わるよう、巧妙に仕掛けられていた。
そして、計画通りに影武者が動き出す時が来た。影武者は桐生の姿そのものになりきり、警察の予測通りの場所に現れるように仕組まれた。桐生はこの時、どこにいても安全であると確信していた。影武者が警察や葛城の予測の中で動き回る一方で、桐生自身は別のルートから行動していた。彼は慎重に、そして冷静に、葛城が仕掛けた罠の動向を監視することに成功する。
桐生は葛城がどう動くのか、すべてを予測し、彼の行動を完全にコントロールしているかのようだった。影武者を使って警察の目を引きつけ、桐生自身はその裏で一歩先を行く。その時、桐生は葛城がすべての準備を整えた瞬間を感じ取った。今や、桐生は反撃の準備を整えた。それは、ただの闘いではなく、葛城の心理を完全に揺さぶるような計画だった。
逆転の瞬間と崩壊する未来
暗殺の瞬間がついに訪れた。葛城は自分の未来視を信じ、数ヶ月にわたる計画を完璧に実行に移した。彼の目の前に現れた影武者を見た瞬間、葛城は心の中で確信を抱いていた。影武者の存在は、桐生が本当に現れる場所を巧妙に偽装したものであり、すべての予測が正しかったと。刺客たちは影武者を瞬時に襲い、その命を奪うはずだった。葛城の目の中には、すでに勝利の確信が宿っていた。
「終わりだ…桐生凌。」葛城は冷徹に呟きながら、その場を見守った。目の前で起こる殺害劇が、すべて自分の計画通りに進んでいることを感じながら。
だが、次の瞬間、葛城の確信は一瞬で崩れ去る。背後から、あの声が聞こえた。桐生凌の声だ。
「未来はすでに決まったものじゃない。」
その言葉が、まるで雷鳴のように響き渡る。葛城は振り返ると、そこには生きた桐生凌が立っていた。影武者を倒すことはできたが、桐生凌その人は、今も目の前に立ち、冷静に彼を見つめている。その瞬間、葛城はすべてを理解した。自分の未来視が見た“死の結末”は、偽りだった。桐生凌は、まるで最初から自分の計画をすべて見通していたかのように、そこに立っていたのだ。
「まさか…俺の未来視が欺かれるとは…!」
葛城は自分の力が通用しなかったことに、心底驚愕していた。未来視という能力は、彼にとってほとんど絶対的なものだった。未来を見通すことで、どんな障害も回避できると信じていた。しかし、目の前にいる桐生凌はそのすべてを無に帰し、まるで未来視が通じないかのように立ち尽くしていた。
その瞬間、桐生は素早く動き、葛城の腕を掴んで拘束する。葛城は完全に予測を外され、逃げ道を失った。彼は一瞬で冷静さを失い、激しく抵抗しようとするも、その動きは桐生にすべて読まれていた。桐生は冷徹な表情で彼を押さえつけ、言葉を続けた。
「未来視があっても、未来は変わるんだよ。」
だが、桐生がその言葉を発した瞬間、葛城の表情が一変する。彼は無言で右手を動かし、背後で目立たないように仕込んだ装置を操作した。急に空気が震え、桐生がしっかりと拘束しているにもかかわらず、葛城は過去改竄を発動させた。その瞬間、時間がねじれ、空間が歪むような感覚が桐生に襲いかかる。
桐生はその動きを冷静に察し、すぐに理解した。葛城の未来視には限界があり、彼の過去改竄にも期限がある。72時間という制限が迫る中で、葛城はすでに焦り始めていた。そしてその焦りが、彼の行動に隙を生じさせていた。
過去改竄の力が発動し、瞬間的に葛城の手から力が抜け、拘束から脱出しようとする。しかし、その瞬間、桐生の目が冷徹に光り、完全に次の一手を打つ準備が整っていた。桐生は、葛城が焦りと不安に支配されている瞬間を逃さなかった。
「焦るな、葛城。すでにゲームは始まっている。」
桐生はそれを告げると、彼の冷静な態度が、葛城の心にさらなる動揺を与える。彼の力が限界を迎え、時間操作の真の制限に追い詰められる瞬間が、刻一刻と迫っていた。そして、桐生の反撃が新たなステージに進むその瞬間を、彼は確信していた。
――続く――