私は嫌なことの記憶がいい
私は嫌なことの記憶がいい。
みなさんにも聞いてみたいことだが、悪いことの記憶っていつまでも覚えていませんか?
私はとてつもなくどうでもいいことでも記憶の片隅にこびりついてとれないので、困っている。
厄介なことに、なんの拍子かわからないが、ふとこの嫌な記憶を思い出し、鬱になってしまう。
道を歩いている時、料理をしている時、窓の外を眺めている時…なんの気もないときに思い出してしまう。
なんらかの行為がトリガーとなって思い出されるのならば、対策できよう。しかし、厄介なことにこれにはトリガーがない。
道を歩いていたら上から植木鉢が落ちてくるくらい急な出来事なのだ。
それでは私が思い出してしまう嫌な思い出をいくつか紹介しよう。
其の一、おしっこ漏らし事件
みなさんはおしっこを漏らしたことはあるだろうか?私はある!
小学校一年か二年の時だったと思う。
私はその頃、革命的な気づきがあった。
それは下腹部をギューと押すと、尿意が少しおさまる、というものである。
私はこれを多用した。授業中、学校からの帰り道、順番待ちをしているとき…
子供ながらに無敵だと思っていた。
この力に限界があるとも知らずに…
当時は学校のプール開きの時に、耳の後ろにシラミがいないかを担任の先生が調べる、という時間があった。
先生の前に生徒が一列に並び、自分のシラミ調べの時間を待つのである。
私はこの時、尿意がマックスであった。
列に紛れている間、ずっと下腹部を押し、尿意を紛らわせた。
しかしそんなことが長く続くわけはない。
私の時間となった。
私は担任に頭を触られた途端、自由の身になった。
もちろん、クラスは大騒ぎである。
すぐにトイレ、保健室に強制送還される。
その後の記憶はまったくない。このことだけを覚えているのだ。
其のニ、体育教師は私に興味がない事件
中学生のときである。
男女混合でダンスの時間があった。
ダンスなんて昭和生まれの私たちにとって、浸透しておらず、舶来もののやっかいな文化でしかなかった。
それを体育の時間でやるのだ。
ハイカラな中学校である。
壁に向かって横一列に生徒が並び、先生の前で踊るのであるが、これがなかなか難しい。
女子を中心にキャーキャー声が上がる。
「なに、これーー、」「難しいー、先生やってみてよー、できないやーん」
この黄色い声に男子達もテンションが上がる。
「できねー!」、「○○できてないやん」
次第に男子が女子をいじり出し、中学生にとっては、待望の異文化交流が行われるのである。
これに私も乗りたい!とおもった。
チャンスは今である。大きな声で、私に視線を向ける言葉を放てばいいのである。
この時、私にアイデアの神が降りてくる。
先生をいぢればいい。みんなとは一線を画すこの妙案を私は自信満々でみんなに聞こえるように言い放った。
「先生、そんな見ないでやー、できないわー」
その刹那、体育教師は、わたしに無慈悲な刃を向けたのである。
「お前を見ているわけではない、こっちを見てたんだ」
私の体育の時間はおわった。
体育教師は乳のでかい女児を見ていたのである。
その後の記憶はない。
なぜ、無理をしてあんなことを言ったのか。私はそれから無理に目立つことを避けたさもしい中学校生活を、送るのである。
さて、皆さんはどうであろうか?
私だけがこういうしょうもないことを気にしているのか?
気になる。
ご意見お待ちしてます。