川井と論と計の科学との出会い: 開口一番
口上
本記事は論計倶楽部というメンバーシップで公開される記事群の前座です。
同記事群では、論計舎講師の方々に「論と計の科学との出会い」を語っていただきます。
次の記事は「森山さんと論と計の科学との出会い」です。
ごきげんよう、論計舎代表・講師の川井です。
前回の自己紹介では書かなかった来歴について、です。
私は15年くらい前に東京理科大学第一理学部数学科というところに入学しているのですが、
「論理学」とここで出会うことはありませんでした。
というのも、理科大には数理論理学の専門家がいらっしゃらず、
履修できてかつ履修した関連する科目は、
いわゆる一般教養科目 (理科大では「人文」と呼んでいた気がします) で開講されていた「論理学」であり、
それはアリストテレス風の非常に古い論理学をカントの専門家が教授するものでした (このカンティアンの先生や理科大の人文科目担当者がすごい人揃いであることを知るのは、だいぶ後のことです) 。
私の大病と2011年の東日本大震災が重なって、同年、私は理科大を退学して京都にて療養を始めます。
バイトと治療を並行し数年を過ごして、私は同志社大学文学部哲学科に入学します (どうでもいいのですが、文字通りの「勉強」をしたのはこの受験勉強が初めてでした。いつか記事にします).
同志社大学入学前の一年間は、英米哲学系の同大学のゼミにお邪魔する機会をいただき、
当時の修士・博士課程の方たちとJ. S. ミルの System of Logic (と論理実証主義者の論文) を読みました。
ここで論と計の科学と出会ったと思った人?
はい、残念。
この頃の私はは難解なミルの文章を読み解くのに精一杯で、
もちろん論理と論理学というものを感じはしましたが、
それを強く意識することはありませんでした。
入学後、数理論理学の祖の一人であるフレーゲについての卒業論文を書くようにボスから言われます (ちなみにボスと入学式か新入生交流会かで会った時に学部入学でなく修士課程への入学だと勘違いして院生のゼミへの参加を許したと言われました、どうりで大変だったわけです) 。
でもまだ、論と計の科学としてないし数理論理学として論理学には接することはありません。
伝統的なドイツ観念論の牙城たる同志社大学哲学科にあって英米系の研究室ですら数学や科学全般に親和的であることは、革命マルクス思想以上の異端でした。
そうした環境の中で、提示される「哲学的問い」に馴染めず私はグレてしまいます。
フレーゲを例えば「総合的アプリオリな判断はありえるのか?」という切り口や「SuBを読み解く」というモチベーションで読むことができなかったのです。
そんな中、たまたま京都大学純哲の博士課程に当時在籍していたある方に部分構造論理を学ぶ読書会に誘ってもらいます。
この読書会で読んでいたのが、古森・小野『現代数理論理学序説』であり、私の 論と計の科学 とのファーストコンタクトにしてベストコンタクトです。
哲学にグレ始めていた私は数学の香りに癒しを求めますが、
その読書会は純哲主催であり、分析哲学者から古典ギリシア哲学の専門家、科学哲学専攻の方など哲学の専門家が多く参加していました (ちなみにプログラミング意味論の専門家もいました。多様な参加者からなる読書会でした) 。
ようやく私は哲学と数学の間の居場所を見つけたのです。
『現代数理論理学序説』は、 (事実上の絶版なのですが) 非常に独特なアプローチの本で、
計算機の気持ちになって手を動かすうちに、Curry-Howard対応が「身に付き」cut消去の意味を実感するといったものです。
何を言っているのかわからない方もいると思いますが、ともかく手を動かしながら読むうちに頭の中に数理論理学がインストールされたのです。
同読書会の他の参加者の方からの刺激もあり、私はボスからの指導を無視して部分構造論理と現代の論理学の哲学を繋げた卒業論文を完成させます (この論文は内容の酷さと発表の機会をいただきながら雑誌収録を断った態度の酷さの2点において私の黒歴史です) 。
今でも私は、
『現代数理論理学序説』のような伝え方がベストだと信じており、
またそのような教材を作りたいと考えています。
私が「論と計の科学」といくつかの分野を総称するのは『現代数理論理学序説』の思想的影響が色濃いのです。
まとまりがないですが、おあとがよろしいので、ここまで。