vol.040 再会
「東京行きたい」と娘が頻繁に言葉にするようになったのは昨年末ぐらいからだった。
私はコロナ禍でも一昨年前から母の顔を見に関東へと出向いていたが、娘は3年近く関東に住む親戚に会っていなかった。新型コロナウイルスの感染が心配だからと休みの度に「東京は、また今度ね」と先送りにしていた。
そんな中、今年の春休みは、1週間ほど母の家と姉の家へと行ってきた。旅好きな私に連れられて以前は飛行機に頻繁に乗っていた娘だが、「わ〜。飛行機ひさびさ過ぎてこわ〜い!」などと出発前は少し緊張気味だった。
娘は、お互い春から中学生になる同い年のいとこに再会するのを楽しみにしていた。赤ちゃんの頃からの付き合いだから、1人っ子の娘にとっては兄弟に1番近い存在だ。2人とも思春期に突入の時期だが、能天気な性格の娘は遠慮なくいとこの心のスペースに踏み込んでいっていた。そんな娘の態度にも「しょうがないなぁ」といった感じで甥っ子は付き合っていて、見ている周りを愉快な気分にさせてくれた。
繊細なところがある甥っ子は、これから始まる中学校生活に少し不安を抱いているように見えた。娘はといえば、中学生になるのが楽しみでならない様子だった。
竹富島の小中学校は同じ建物内の1階と2階に位置しているので、中学生になっても2階に上がるだけでさほどの変化はない。6年生の時は、先生やクラスメイトに恵まれ、毎日とても充実した日々を送っていた娘にとって、学校生活は楽しくて仕方がないものになっていた。そんな理由からも中学校生活への不安などはさほど感じることがないのだろう。難しい年頃のこの時期に、幸せな環境に恵まれたなとしみじみ思う。
姉の家の近くの川沿いに咲く桜は、満開の時期を迎えていた。岸辺には菜の花が咲き乱れ、淡い桜色と眩しい黄色で春の存在を確かなものにしていた。
お別れの日を前に、夕暮れ時の光が綺麗な頃合いを見計らって、2人を連れ出した。会話というような会話を交わすわけでもなく、2人はなんとなくくっ付いたり離れたりしながら私の前を歩き、時折振り返っては、ケラケラと笑い合ったりしていた。
柔らかい春の太陽が、子どもでも大人でもない2人の姿を黄色い光で包んでいた。
次に2人が再会するのは、真夏の太陽が降り注ぐ竹富島でだろうか。
【水野暁子 プロフィール】
写真家。竹富島暮らし。千葉県で生まれ、東京の郊外で育ち、13歳の時にアメリカへ家族で渡米。School of Visual Arts (N.Y.) を卒業後フリーランスの写真家として活動をスタート。1999年に祖父の出身地沖縄を訪問。亜熱帯の自然とそこに暮らす人々に魅せられてその年の冬、ニューヨークから竹富島に移住。現在子育てをしながら撮影活動中。八重山のローカル誌「月刊やいま」にて島の人々を撮影したポートレートシリーズ「南のひと」を連載中。