【小説】第1話 "少年アリス"
街でも滅多に着る者など居ない、光りの当たり具合では独特な模様の浮き出る特殊な織りの生地が使われたレフコス色のスーツ。
それを纏い手入れされたばかりの庭で紅茶を飲んでいる男。雪のようなレフコスの肌、年齢の分からない少年のまま時が止まったかのような美しく整った顔、淡いセレッサ色の腰まで伸ばした美しいロングヘアーがふわりと風に靡く。
N月、この街では草木の色が褪せてくる時期だが、カラフルな外壁の並ぶ街では草木の色などあまり気にならない。
そんな中、華やかな容姿の男が街を歩けば誰もがその姿を眺める。街で知らぬ者はいないが、特に悪目立ちしている訳ではない。
皆が気軽に「アリス」と声をかける。アリスと呼ばれた男は、それに応えるように少し澄ましたような、しかし穏やかな笑みを浮かべ、片手を胸に当てて軽く頷いた。
書店に立ち寄り、パンと手帳を買う。そして街の中心部から少し離れた家へ戻ると、自室に戻りベッドに飛び込む。肺が空になるような大きな溜息をついた。
「…あぁ、怠いな。」
本当は街で声を掛けられる事も、人付き合いも苦手で外出もアリスは最低限にしたかった。しかし大きくもない街で、なかなか街に出ない父の代わりに交流を…と適当に街を歩く日々が日課となってしまっていた。
ベッドから気怠そうに起き上がると服を脱ぎ、下着だけでまたベッドに潜り込み丸まった。洗いたてのシーツにはN月らしい陽と、庭の薔薇の香りがする。
ベッドに潜ったまま、やっと1人になれたアリスは漸く笑った。街での半ば澄ました穏やかで凛とした微笑みではない。
見開いた眼は街中で会った人々をまるで醜い蜘蛛蛙を見てきたかの様に、口元も大きくニヤけ口の端から涎が溢れる。それでも透き通るような声から真逆な言葉が吐き出る。
「アッハッハ…嗚呼、醜さが感染(うつ)ってしまう!僕に話し掛けたって全く何の得にもならないのに!脳無しの蜘蛛蛙みたいだ!」
アリスは可笑しくて笑いが止まらなかった。ベッドの中を転がり、他人を見下し自分に酔った。
「ふふ、誰も僕を知らない。美しく聡明に視えているのだろう!実際に美しいのだから仕方ない。永久に王子様のようなアリス様を皆は眺められるさ!」
シーツの中で笑い過ぎて息が苦しくなり、腹部が痛くなっくると、アリスは急に虚しくなり寂しく微笑んだ。「そんな考えは止めなければ…」と思いながらも、自分では見下す感情を抑えきれなくなってきた。
「きっと…その内に街で会った人を嗤ってしまうのだろうな…」
ぽつりと呟いたその声は、美しく穢れの無い透明な声だった。そんな言葉を隠す様に、夜なると無数の星達が小さな光の筋を作って夜空に大きな網が張られた。
【単語】
※レフコス…絹のような白色
※セレッサ…淡い桜色
※蜘蛛蛙…この世界で馬鹿にされる時に例えられる生物。六本の脚からは常に粘性の排泄物を流す。基本的に下水道に住み、汚水や流れ着いた死骸などを食べ丸々と太り蛆虫を常に身体に這わせ共生している、手のひら程の蛙のような姿をした醜い小動物。
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