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【手記】貴族世界に生かされた僕

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父親から両親の事は「お父様」「お母様」兄弟にすら敬語や丁寧語で話す事を強いられた。それなりに裕福な家庭であった。 車係、料理人、庭師、世話係、教育係など住み込みで多くの「他人」…
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#思い出

お父様に支配された、僕の狭い世界

 お父様からの助言(躾)は絶対的に正しい、それが世間の常識で、誰もが同じように家庭で学ぶべき事である。…それが精神的虐待なのかは今でも疑問だ。兄弟達は皆「お父様」「お母様」と呼ぶ、家族の誰に対しても丁寧語、敬語で話す。 幼少期の世界  僕には特別に秀でた才能がなかった。興味の全く向かない習い事をたくさんやらされた。スケジュールの殆どはレッスンや宿題で埋まっていた。  興味をもった事、初めて「楽しそう」と思えた事は乗馬だった。馬に乗って高い位置から初めて"お父様"の頭頂部を

縁側の香り、桜色のテディベア

 春になると思い出す事がある。曾おばあ様の葬送、僕がとても幼い頃の話だ。  葬列で柩を抱えた人達の後ろについて幼い僕は早足で歩いてゆく。「あの箱の中で曾おばあ様が寝ている」それしか分からなかった。  周りの人達の多くは外国人で、彼らの会話も葬式も当時の自分にはさっぱり分からなかった。きらきらとしたステンドグラスを眺めていた。  敬虔なカトリック教徒であった彼女は、故郷英国で永い静寂を望んだ。緑が特別に美しい4月だった。確か墓地の近くの桜も咲いていた。僕は兵隊を初めて見た

死に遂げた部屋(事故物件)

※事故物件・死に関する実話です(写真はイメージです)  あまりに自分の話ばかり書くのも退屈なので、僕の不動産投資の仲間との少し最近の、そして一番他人の話を書き留める。詳しい日や場所は書かないでおこう、事故物件(自殺)の話だ。  友人が持っているアパートの一室で、故人は見事に死にきった。誰にも見つからず、自然に還ろうとするまで、この悲劇は沈黙を貫いた。  近くには独特な匂いの発生する施設があった。特別悪臭でもなかったのだが、一軒家は殆どなく土地も安く、お陰で市営アパートや