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マリッジブルーズ 【1】

「なんでそうなるのよ!」

そう言って寧々は婚約者のユウタに結婚情報誌を投げつけた。
ぶぁっさと音を立てながら、分厚い雑誌はユウタの膝のあたりをかすめてフローリングに落ちる。
候補の結婚式場にふせんがされた雑誌はゴミのように床にぐしゃりと広がった。その広がりように、寧々はぐしゃりと潰された自分の夢のようだと思った。

「落ち着けよ…」

寧々が潰されたと感じるその夢を気怠げに持ち上げながらユウタは言う。正直疲弊していた。
結婚の話になってから、もともとわがままだった寧々は一層わがままになり、ユウタにはその変容ぶりが理解できなかった。
もともとわがままだったのは事実だ。そこそこ太い実家を持ち、女子高育ちの寧々は、いわゆるお嬢様に近かった。とんでもないクラスの金持ちの子ではないが、それなり以上に裕福に育ってきたらしかった。でも、わがままでも美人で可愛かったのは事実だ。趣味も合ったし、気もあったし、ユウタにとっては、二十代半ばにして結婚し出した周りに触発されて結婚したがる寧々に話をされて、結婚するには十分いい相手だと思えていた。三十代に入り、給料もそこそこの自分ならば、寧々の給料と合わせれば暮らしていくには問題もないと思っていた。
でもここまで折り合いがつかないと辟易する。

「おばあちゃんにどうしても来てもらわなきゃいけないの?」
「いや、どうしてもってわけじゃないけど、きてもらいたいし、いいだろ…」
「ならタクシー使ったらいいじゃない! なんで式場変える必要があるのよ!」
「タクシーって、駅からどんだけ距離あるかわかってんのか」
「いいじゃない、それでも!」
「いいって…ばあちゃんは腰悪くて長く歩けないし、母さんも介護で腰やって、遠方から新幹線でばあちゃん連れてくるのに、新横浜から遠いのはきついって。式場の入り口からもかなりあるし…」
「嫌よ。式場が遠いなら、新横浜らへんで前泊してもらえばいいじゃない」
「…」
八十過ぎたばあちゃんに前泊かあとユウタは考えを巡らせながら、もうばあちゃんが来るのを諦めた方がいいかと思い始めていた。
「第一、ユウタもお母さん腰やった時に言ってたじゃない。できない介護やろうとするからって。プロに任せればいいのにって。そんなの、できないのに無理して介護して腰壊したお義母さんが悪いじゃない! なんでそのために私の夢壊されなきゃいけないの!」
「なんでも自分かよ…」
ぼそりと言ったユウタに、
「私がわがままだって言うの!? 結婚式は女の夢なのよ! 夫の方が合わせるのが普通でしょ!」
と寧々の怒号が飛ぶ。

はあ、とため息をすると、それにも文句が飛ぶ。
ユウタは心底疲弊していた。
最初は、専業主婦になりたいという話からだった。専業主婦になって子供は二人持って、駅前のタワマンに住んで、自分とお兄ちゃんと同じように幼稚園から私立に行かせたいと言ってユウタのいないところで将来の白地図を描き出していた。
ざっくりしかわからないが、どう考えてもそんなことが無理そうなのは計算しなくても理解できた。いくら少しはハイスペと呼ばれる給料帯にいる自分にも無理だ。それは君が専業主婦なら不可能な話だと言ったら、怒鳴られた。私は働き続けるために今働いてんじゃない、と。
正直、結婚前の女がナーバスになるのは聞いていたし、結婚に夢を見る女は多いと聞くから、少したてば冷静になってくれるかなと、ユウタはそれを宥めて流すことにした。
だが改善することなく、ただただ彼女の幻想は膨れ上がり、婚約してから数週間で、今後が危ぶまれる状態になっている。

「なあ、他のところは譲るからさ、式場だけは便利のいいとこにしてくんない? 便利なとこならどこでもいいからさ。 夢なのはわかるよ。 でも寧々の夢を叶えるためだけの式じゃないんだよ」
そう言われて寧々は顔を真っ赤にして、
「もう良いわよ!知らない!どうせ私の願いなんか一つも叶わないんだから!」
そう言って、どしどしと音を立てながら寧々は隣の部屋に行く。
「最悪!」
隣から声が聞こえ、ユウタは手に持つ結婚情報誌をすぐそばのテーブルに置いて、ため息をついた。


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