マリッジブルーズ 【2】
祖母の芳江には孫寧々は姫に見えた。
姫にしか見えなかった。
なんて贅沢なんだろう、と今の若い子達を見ていて思う。
サクサクサクと、築四十年にもなろうかという自宅のキッチンで、きゅうりを刻みながら思う。
服はファッションの流行りが変われば捨て、綺麗な家に住んで、ときめくような機械を手に持って。
どこにでも行けて。何者にでもなれて。
本当はそんなに煌めいたものでもないと、違うというかもしれないけれど、自分の小さい頃と比べるとそう見える。
なんて贅沢なんだろう。
なんて便利なんだろう。
なんてきらめかしい世界で生きているんだろう。
人生皆それぞれに苦労があるのだろうとは思うのに、何故だか寧々を見るとその不満の持ちように怒りを抱く。
自分なら喜んだものを、この子は足りないという。
習いたくてもできなかった習い事を、自分ならば喜んだ機会を、この子はゴミのように扱う。
私の小さい頃なんて…と言いそうになって、母のなじりが耳に聞こえて来るようで、どの世代も前の世代よりも裕福なのだろうか、なんて言うことを思ったりした。
時代の違いは当然あるに決まっている。
しかし、自分と孫の違いに恐怖さえ感じていた。
そんな自分は子供らしいわがままをさえ忘れているだけで、本当は自分だってわがままだったかもしれないと思うのに、もう二十代も半ばの孫の癇癪の様子を聞くと恐怖を感じる。
ただただ、芳江には寧々は買いたいものは全て買い与えられているように見えた。必死で貯めたお金で弘太郎に大学を出させた後に、運よく金回りのいい仕事を手に入れた弘太郎は驕っているようにも見えた。類は友を呼ぶのか、奥さんのサナエもそう見えた。同じような人を弘太郎が呼んだのだ、と思った。弘太郎とサナエは何不自由なく孫のサトシと寧々を育てているように見えた。その何不自由なさによかったねと思えた頃はまだよかった。それがうらやましく思えた頃はよかった。今ではもう、恐ろしく見える。
寧々は可愛かった。美人のサナエの遺伝子を強く継いだのか、自分の孫にしては驚くほど目のぱっちりした、可愛い子だった。弘太郎もサナエも可愛がった。
でも、その可愛がり方は資本主義に任せすぎた、金にものを言わせた可愛がり方だったように思う。
やりたい習い事はすべてさせ、高級な子供服を着せ、恐らく本来はもっと金持ちが行くべきであろうような学校に通わせていた。
それでも手に入らないものにくどく言う孫は醜い姫だった。
サナエさんの育て方が悪いのかしら…
うちの子が甘やかし過ぎなのかしら。
でも、お兄ちゃんのサトシくんはそうでもないし…
いや、醜いのはそんなことを孫に思う自分だと芳江は自分に言い聞かせてきた。
「おばあちゃんのケチ」
と言われようとも、
「いじわる」
と言われようとも、そのうち、そのうち、大きくなればきっと寧々だって変わると、そう思ってきていたのだ。
高校の時、少し変化が見られた。
腰が痛い自分を気遣って、
「私、おばあちゃんみたいな人を助ける仕事についてみようかな」
と言った時には、この子も少しは姫ではなくなったのかと期待した。
その半月後には、弘太郎から有名私立大学の文学部を受けると聞いて、あの話はなんだったのだろうと、半月前にいた孫のことを思った。
ジューンブライドになりそうなので、6月の土曜日のどこかでの結婚式になりそうですと、サナエから連絡が来たのは年末だったか。
寧々が恋人にプロポーズしてもらったそうでと、うきうきと報告してくれる嫁に、きっと寧々も丸くなったのだと芳江は期待していた。
それが、それからわずか二ヶ月足らずで、「母さん、もしかしたら寧々は婚約破棄になるかもしれん」と息子の弘太郎から連絡が来た時には、やはりまだ姫だったからかもしれないとぼんやりと思いながら電話を切った。
ひとしきり家事を終え、買い出しに出るために鏡の前に立つ。
高級そうなボトルに入った基礎化粧品に手をのばす。
テレビでしきりにやっているアンチエイジング化粧品。
それでも、鏡の中の自分の肌に満足がいかなくて、『ああ、醜い』と思う。
たおやかな心で老いていく自分を受け入れることが出来るわけでもなく、
かと言って主人に「そんなことしたってあまり変わらないぞ」と言われれば歳に抗うことに全力を注ぐ心意気も削がれ、
結局のところ中途半端な肌をした自分は、
寧々を姫と呼ぶ資格があるのだろうか。