非日常とカフェ 【日記風創作物】
感じる暇なく忙しく目の前を現実が過ぎ去っていく。
右に左に人が行き交い、列をなし、小さい画面を見て鞄を提げ、それぞれの場所に向かう。
観光で来ている人もいれば、仕事中の人もいれば、学生もいる。
「本日お伺いにすることになっております西山と申しますがー」
"We need to catch the bus that goes to the temple. It comes inー"
「今日、数学の小西面白かったよ。なんか昨日変な夢見たとか言い始めてー」
言葉も交錯する。
私は忙殺3日目でやっと次の仕事までの合間に1時間の隙間時間を見つけ、どこにでもある、さして美味しくもないカフェチェーンに入る。
いつも通ってる場所なのに、こんな時ばかりは少し異質な場所見たいだ。脳が忙しさばかりを知ってるものと認知して、いつもの場所を知らない場所と認知する。異質な感覚。
入ってすぐ見覚えのある女性店員がレジに立っていて、何故だか安心する。知らない場所じゃなかった。
久しぶりに慣れないことをしたからだ。普段はさして忙しくないのに。
いつものコーヒーの上に甘いソースの乗ったいつもじゃない飲み物を注文して、いつもの席が空いてなくて、一つ席を開けていつもじゃない席に座る。
いつもはこんなに甘いものは頼まないけど、今日はいつもじゃない。
いつもは自宅から仕事をしているので、たまにだが、こうして連日外に仕事に出るのはいつもじゃない。
いつもは静かな屋内で人知れず仕事をしてることが多いが、たまにこうしてたくさんの人に会うと、脳神経が忙殺される感じがある。
ーはあ、疲れた。あとちょっと。
もう一件、話し合いを終わらせればいつもの仕事に戻る。
つくづく自分は対人が向いてないなと思う。
一人で生きたいとも思わないし、人と会う環境はありがたい。
でも、常に人の声がする環境は私に合わない。
コミュ障と言われようがなんだろうが、この感覚は私には適してない。
都会の喧騒を生きる人たちは、私とは異なる人種なのだと身に沁みて思う。
都会が田舎を馬鹿にしようが、田舎が都会を馬鹿にしようが、そもそもそこで生活出来る人種が異なるのであれば、すれ違いも当たり前なのかな、なんて勝手に考える。
小さな都会の駅前カフェにインスピレーションを探しに月に数度通う私は、田舎に住んでいるに違いなかった。
「いつもありがとうございます」
最後の仕事をしにカフェを出て行こうとして声をかけられる。
いつもの私でない私に気付いた店員の目には、今日の私はどう見えるのだろう。