![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/164532064/rectangle_large_type_2_f945c243fa8f8aa8734bd667296987b8.jpeg?width=1200)
高楼方子「十一月の扉」。十一月には、何かが起こる。
「十一月の扉」は、中学二年生の女の子、爽子(そうこ)が、十一月から二か月間だけ、家族から離れて下宿生活をする話である。
爽子はある日、弟の双眼鏡を覗いていて、今まで見たことのない建物を発見する。気になった彼女は、自転車に乗って、その建物を探し出す。
その家には、「十一月荘」という看板が出ており、それを見た爽子は、どうやらここは下宿屋らしい、と思う。
その翌日、父親の転勤が決まったことを母親から告げられた爽子は、思いきって、自分の希望を口にする。
それは、二学期の終わりまでは引っ越したくない、ということ、そして、「十一月荘」で下宿をしたい、ということであった。
はじめ、爽子の母親は当然、反対する。しかし、親子で十一月荘を訪れ、結局、話は簡単にまとまってしまう。
爽子は、物書き志望でもある。
彼女は、「十一月荘」を発見した帰り道、ある文房具店で、「不思議の国のアリス」にも登場することでおなじみの絶滅した鳥、ドードーが表紙に描かれているノートを購入する。
爽子は、十一月荘にただ身を置くだけでなく、そこで、何かをやり遂げようとしていた。
「十一月荘」の持ち主は、元・英語教師の閑(のどか)さんという女性。
そして、住人は、馥子さんとその娘のるみちゃんの親子。
そして、建築士の苑子さん。
(実は、馥子さんと苑子さんは、高校の同級生)
十一月荘は、厳密には「下宿屋」ではなかった。
閑さんが、友人知人とのあいだで、「年をとったらみんなで暮らせる場所をつくろうか」などといろいろな夢を語り合っているうちにアイディアがひらめき、古い家を壊して新しく大きな家を建てる、そこに、いろんな人を出入りさせているうちに、なんとなく現在のメンバーが定着したのである。
爽子は、「ドードー森の物語」というタイトルの物語を書き始めるが、自分の書いたことが「現実」になったり、また、彼女も、「現実」を、自分の物語の中に取り入れたりする。
爽子は、フィクションと現実がお互いに影響しあうような展開を、この十一月荘で経験するのだ。
また、爽子は、年齢や立場を超えて、自分よりもずっと年上の人たちと交流することで、変わっていく。
たとえば、建築士の苑子さんとの交流。
苑子さんは、爽子に、自分の子供の頃からのことを語る。
学校での集団生活、同級生も、えらそうな先生も、キャンプファイヤーで歌わされるのも大嫌いだった、でも、絵が好きで美術部に所属してずっと描いていたことなど。
そして、高校で馥子さんに出会って、彼女のやわらかい雰囲気に影響されたこと。
絵を描いていたが、間取り図を見ることが好きだった、と思い出し、建築の道へ入ったこと。
苑子さんのような三十代の女性の人生の話を聞いて爽子は、
どの年代の人にも子供時代はあるし、悩んだこともある、誰でもいきなり大人になるわけではない、誰でもいきなり「おばあさん」になったり「お母さん」になったり、三十代、四十代になるわけではなくて、みんな、時を積み重ねて生きているのだ、というの当然のことをあらためて理解する。
そして、相手の年齢や立場など忘れて、共感する。
爽子の母親の話をしよう。
彼女は、仕事はしておらず、世間的には「主婦」という立場なのだが、普段、本を読んだり映画のビデオを見て、ああだこうだと批評をしている。社宅の人間関係が嫌いで、マンションに住むことを選んだような人だ。
爽子は、十一月荘の風通しのいい人間関係を経験し、母親がここへ来たら居心地いいだろう、などと考えたりもする。
しかし、その母親が、一足先に引っ越した場所で、意外にもうまくやっていることを手紙で知らせてくる。
はじめ爽子は、なんだか自分だけが取り残されたような妙な気分になってしまう。
しかし、その後、自分の「お母さん」でしかなかった女性も、十代の頃があり、そして、一人の人間として悩みや問題を抱えていたことを理解し、そして、本当に好きなことをはじめて楽しい人生に踏み出しそうな母親を、見守る気持ちになれるのだ。
十一月荘の住人以外の、重要人物を紹介しておこう。
昔、英語の先生だった閑さんのところに、英語を習いに来ている、耿介君。
彼は、はじめ、ちょっとひねているような醒めているような男の子、として爽子の前に登場する。
しかしその後、彼が学校でいじめにあっていたことが明かされる。そして、彼が、いじめっ子の意のままになろうとせず、自分を貫くため、たたかっていたことを知り、爽子の、彼を見る目が変わる。
それから、鹿島さん。
彼女も、その強烈な個性において、「重要人物」だ。
近所に住む、せんさく好きでおしゃべりでうるさい女性なのだが、憎めない。
頭にカーラーを巻き、それをスカーフで覆ったまま、外を自転車で走ったりするのだ。
印象的な台詞、場面がとても多くて、あげていたらきりがないのだが、最後にひとつあげておくと、爽子がおしゃれをして、普段行かないカフェへノートを持って出かけるところが好きだ。
彼女はその前に、苑子の部屋に置いてあった雑誌で、パリのカフェらしきところで書き物をしている若い女性の写真を見ていた。
爽子は、苑子と、「書く」ことについて話していたこともあって、その写真の中の女性と、同じことをしたくなるのだ。
彼女はよそいきの服を着て素敵なカフェに行き、物語を書く、という「実験」をする。憧れのシチュエーションに身を置いて、そしてさらに、自分の好きなこと・・・小説を書いて、どんな気分になるか?何か気持ちの変化はあるか?そして、どんな物語が書けるか?・・・とにかく、自分に何が起こるかを見てみよう、という、「実験」なのだ。
この、カフェのシーンは、とくに楽しく読んだ。
何も知らない他人から見れば、中学生がおしゃれなカフェでただ散財しているだけ、そんなことをしてもなんの意味もない、と言うかもしれないが、爽子の、この「実験」は、彼女にとってとても貴重な経験だったはずだ、と思う。
以前、高楼方子の「時計坂の家」について書いたとき、「夏休みには、何かが起こる」というタイトルをつけた。
今回、「十一月の扉」をはじめて読んだわけだが、「十一月には何かすてきなことが起こる」という閑さんの台詞があったため、偶然、と思い、タイトルをあわせてみた。
爽子は、二か月という短い期間、「十一月荘」という特定の場所に身を置くことによって、自分自身の世界を深めることができた。
家族という、ある意味わずらわしい存在から切り離され、他人と交流し、物語を書くことによって、さまざまなことを学ぶ。
そしてまた、彼女は、家族のもとへと帰ってゆく。
やはり、「十一月に、すてきなことは起きた」のである。
それも、たくさん。
いいなと思ったら応援しよう!
![イブスキ・キョウコ](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/168439978/profile_21bdb76256bc5ab84c1f54fb89eedf28.jpg?width=600&crop=1:1,smart)