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ドロシー・L・セイヤーズ「雲なす証言」のピーター卿は、軽く、明るい冷血漢?

ずっと前に買ってそのままにしていたドロシー・L・セイヤーズの「雲なす証言」を、やっと読んだ。

ピーター・ウィムジィ卿は、ある事件を解決したあとイギリスを出て旅行をする。コルシカでしばらく過ごし、その後は、パリへ。
物語のはじまりは、パリのホテルから。
朝、入浴しながら歌を口ずさむピーター卿。これからコーヒーとロールパンの朝食だ、と思いつつ風呂からあがり、ふかふかのタオルで体をふき絹のバスローブに身を包んで戻ってくると、なぜか、執事バンターが荷物をまとめているではないか。ここには、二週間の滞在予定なのに!

バンターに新聞を手渡されて読んでみるとそこには、兄のジェラルド・ウィムジィが殺人の容疑で逮捕されたとの記事が。
しかも、殺された男デニス・キャスカートは、妹メアリの婚約者であった。

ピーター卿はさっそくイギリスに帰国、友人であるスコットランドヤードのチャールズ・パーカー警部とともに捜査に乗り出す。

事件の現場となったリドルズデール荘で、宿泊客たちが事件についてあれこれ話している最中にピーター卿が帰ってくるのだが、この場面がおかしい。
宿泊客のうち一人がつい、きつい冗談を言ってしまい、そのため、みんなが口を閉ざしてしまう。

「この言葉にぞっとするような沈黙が続いたため、傘立てにステッキがカランと投げこまれる音がはっきりと聞こえた」

それに続いて、ドアが「すいっと」開いて(この「すいっと」、というのがいい)、ピーター卿が「ごきげんよう、みなさん」と挨拶する。
深刻なムードになっているときに、やあやあどうもどうも、といった感じで帰還する、容疑者の弟。

「雲なす証言」のピーター卿は、最初から最後まで明るい。いや、明るい、というより、無神経に見えるくらい、軽い。
この事件の捜査中、ピーター卿は負傷するのだが、みんなに囲まれて横たわっているときでも、その中でいちばん元気なのは、彼なのだ。
実の兄が逮捕されても妹の様子がなんだかあやしくても自分が襲われてもこんな調子のピーター卿は、人によっては、明るいどころか「何も感じていない冷血漢」に見えるかもしれない。
外側のことをいっさい気にしていない明るさというのは、まじめな人間からしてみると、冷たく見えることもあるのだ。

しかし、兄や妹だけでなく、事件の現場となった宿泊客の証言などもみんなばらばらで、雲をつかむよう。そもそも、なぜ妹メアリはこんなあやしげな男と婚約したのだろう?と、読んでいるこっちも、まったく、わからない。

さまざまな偶然とそれぞれの事情が複雑に絡み合っているこの事件を追ううち、ピーター卿は、グライムソープという農場主の存在を知る。そして、その妻が彼に暴力をふるわれていることも。
彼女が夫に暴力をふるわれる場面は、読んでいて憤りを覚える。しかし、彼女と夫との関係はそのままということはないので、ご安心を。
何もかも終わったあと、欲しいものを買うために買い物に出かける彼女(グライムソープ夫人のことだが、この男の名前を出して、「その妻」という表現をしたくないくらい)「よかったですね」と声をかけたくなる。
(そうそう、問題のある男はグライムソープだけではなくて、また別に、「もう一人」いるのだけど、その男との関係にも、けりがつけられる。

「雲なす証言」は、P・G・ウッドハウスの小説を読むように、楽しむことができる。ピーター卿のシリーズは東京創元社から文庫で何冊か復刊されている。「大忙しの蜜月旅行」では、「雲なす証言」のピーター卿とはまた違った面が描かれており、そのキャラクターにも変化が見られるようだが、こちらもずっと待機中なので、読まなくては。

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イブスキ・キョウコ
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