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森薫の「エマ」。印象的なシーン、脇役たち。

森薫の、「自分が好きだと思うその対象を、愛情をもって、徹底的に描く」、という姿勢が好きだ。
偏執狂的、といっていいくらいの細部への、こだわり。

「エマ」は、1890年代のイギリスが舞台の、貿易商の息子ウィリアムと、メイドのエマの身分違いの恋の物語である。
しかし、冒頭に書いたような理由から、どうしても、二人の恋の成りゆきそのものだけでなく、それ以外のところにも、目がいってしまう。

さまざまな印象的なシーン、そして、個性的な登場人物たち。

たとえば、以下のシーン。
第五巻三十二話で、雇い主である夫妻とともにロンドンへ赴いていたエマが屋敷に帰ってきて、自分の部屋で着替えるシーン。
トランクをベッドに置く、眼鏡をはずす、着ているもののボタンをはずし、脱ぎ、いつもの制服を着る、エプロンをつける(このとき、エプロンがふわりとふくらむ)、うしろでエプロンの紐を調節して、メイドの帽子をピンで固定しまた眼鏡をかけて・・・という一連の動きが、カメラでじっくりと映しているように、描かれている。

また、第六巻三十八話。ウィリアムが、婚約者であるエレノアの自宅を訪ねるため、身支度をしているシーン。
ネクタイをしめ、上着を着て、懐中時計を確認したあと、それを身に着けて・・・と、ここでもまた、彼のひとつひとつの動きを、丁寧に、追っていく。

それから、第五巻三十五話で、エマの働く屋敷を、ウィリアムが訪ねてくる箇所。
ウィリアムが外に立っているのを、メイドたちや、屋敷の主人であるヴィルヘルム、そしてその妻ドロテアの、メルダース夫妻が目に留め、不審に思う。
エマも、彼がそこにいるのを見て、驚く。

二人は知り合ってお互いに恋心を抱いていたものの、さまざまな事情や行き違いから離ればなれになる。その後、またお互いの所在を知り、手紙のやりとりをしていたところであった。

手紙だけでなく会いたいと切に願っていたエマは、とつぜん現われたウィリアムの姿を見て、矢も楯もたまらず、走って、彼の元へと駆けつける。

同僚のメイドたちと一緒にいたエマが、その部屋を出て、廊下を走ってゆく(そんな彼女を不思議そうに見るほかの使用人たち)。
屋敷の窓から見た、思い人の元へ駆けてゆく、小さなエマの後ろ姿。
屋敷の外へ出て、彼に近づいてゆくエマ、立っているウィリアム、彼の驚く顔、エマの顔のアップ、彼に抱き着こうとしているエマの足元、彼女の肩から腕の線・・・と続いて行って、そして最後に、ウィリアムの首に、メイドのエマが、両手をまわして抱き着くシーンへとなだれ込む。

この様子は、メイド仲間も、雇い主である夫妻もみんな、目撃しており、メイド仲間は、「うわあ・・・・・・なんかすっごいモノ見ちゃった」「小説みたいよね!!」とはしゃぎ、いつも退屈している夫人のドロテアは、「ファンタスティック!!」「ドラマね!!」と大喜びだ。
このシーンはとても美しくて、ここを読み返すたびに私は、森薫は、これを描きたいがために、「エマ」という作品を描いたのでは・・・などと、思ってしまうくらいだ(もちろん、このシーンのためだけではないだろうけど)。

登場人物のほうに話を移そう。
ウィリアムとエマ以外の脇役に、おもしろい人が多い。

まず、ウィリアムの友人、ロバート。
ウィリアムとメイドのエマとの関係を知って、多少狼狽はするが、彼との関係を清算したりはしない、「良いご友人」(ウィリアムの家の執事、スティーブンスの評)だ。
彼はクラブで葉巻を吸いながら、「結婚には興味がない」という意味のことを言っているが、どうなのだろう?
番外編で、彼のことを描いてほしかった。

ウィリアムの母親。社交界に完全になじむことのできない変わり者、とくに娘時代、新婚当時は奇人変人扱いされているが、そういうところが、好き。

メイドのアデーレ。
自分の仕事に誇りを持っていて、終始一貫、冷静。
七巻四十七話で行方不明になったエマが帰ってきたときも、ほかのメイドたちが大騒ぎしている中、彼女だけは自分の立場を忘れない。
しかし、先にも書いた、ウィリアムとエマのドラマティックな再会のシーン、彼女はそれを窓から眺めながら、「ヒュウ♪」と口笛を吹いている。いつも冷静な彼女だが、このときだけは、ちょっと違うのが、いい。

それから、ウィリアムのインドの友人ハキムも、失敗ばかりしているエマの同僚ターシャもウィリアムの義兄ライオネルもいいのだけど、なんといっても、いちばん気になるのが、ウィリアムの婚約者エレノアの姉、モニカだ。

彼女は、自分の妹エレノアを異常なほど溺愛しており、何かあるたびに彼女のことを心配し、べたべたと甘やかす。
あまりに妹を溺愛するあまり、彼女からウィリアムとの関係を聞かされたが、その際、逆上してしまう。
どうやら妹はウィリアム・ジョーンズなる男に結婚を申し込まれたらしい。しかし、そのとき彼が曖昧な態度をとったらしい・・・と受け止めたモニカは、それを許せず、彼の家に乗り込むのだ。
雨の中、馬に乗ってウィリアムの家に怒鳴り込むモニカの様子も、なんだか行き過ぎな印象を受ける。

彼女は、「レディーに必要なのは崇拝者」という考えの持ち主で、「プロポーズしてくれた方たちのなかで一番情熱的だった」という理由で、好きでも嫌いでもない男と結婚した。
その相手というのが、「いい人」であるということだけが取り柄のおめでたい性格の伯爵であった。
では、この強烈な個性の女性と、「頭の弱い夫」(モニカのおそろしい父である子爵の台詞)の結婚生活はうまくいっているのか、というと、これが、うまくいっているのである。
モニカは、この「頭が弱い」、そして、熱烈な崇拝者である夫の愛に十分応えているのだ。

このモニカの、気に入っている人間には甘く、気に入らない人間に底的に厳しくする、その態度はかなり極端で、よくわからない。

彼女の父親である子爵は非常におそろしい人物で、「冷血」という言葉がぴったりなのだが、よく見ると、この子爵とモニカの目が、非常によく似ている。
鋭い目つきで、モニカも、子爵の冷たい、そして狂った血を受け継いでいるのか・・・と思ってしまうけれど、しかし、子爵が、笑えないキャラクターであるのにくらべて、モニカは、笑えるキャラクターなのである。

たとえば、ウィリアムの姉、グレイスに出会うシーン。
モニカは、「・・・・・・グレイスさん?」と彼女を冷たい顔で見てたかと思うと、次の瞬間、頬を染めてとろけるような笑顔を見せ、エレノアとグレイスのつながりのことを持ち出して、「どうぞこれからも良いお友だちでいて下さいましね」などと言って、グレイスをとまどわせる。
モニカの目に、かわいい・綺麗・美しい・魅力的・素敵、と映った人間は、どうやらみんな、こんなふうに、彼女の過剰な愛情の対象になってしまうらしい。

番外編では、ウィリアムとハキムの子供の頃のこと、また、ウィリアムの弟の学校での話などが描かれていたが、モニカが登場しなかったのが、とても残念だ。
彼女が生まれたときから結婚するまでの物語を、ぜひ、読んでみたい。(いったい、どんな少女時代を送ったんだろう?)
「エマ」だけでなく、「モニカ」もぜひ、読んでみたいのだけど・・・。

今、私の部屋には「エマ」全巻がそろっているが、はじめて読んだのはもう何年も前、知り合いの女の子に貸してもらって、読んだ。
貸してくれたのは、父親の仕事の都合で、イギリスで暮らしていたことがある女の子だった。
キューガーデンに行ったときの話などをしてくれたが、その後、交流がなくなってしまった。
イギリスの思い出話を、もっと聞いておきたかった、と思う。

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イブスキ・キョウコ
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