左右違う靴を履く、ということ。N・キンスキーからM・モンロー、そして、小泉今日子までの連想。
先日、ジョディ・フォスターについて記事を書いた。
その際に、彼女の伝記「ジョデイフォスターの真実」(フィリッパ・ケネディ 集英社)をぱらぱらめくって読み返していたところ、彼女がナスターシャ・キンスキーに関しておもしろい発言をしていた。
ナスターシャ・キンスキーは自分のことを醜い、と思い込んでおり、それについてジョディ・フォスターが、信じられない、と言っているのは覚えていたけれど、この発言についてはすっかり、忘れていたのである。
「彼女はいつも食べ物をくっつけているし、服にも食べ物のしみがついているわ。スエードのパンツでのときでもナイキのスニーカーをはくのよ。夢見心地で本当にぼうっとしているけれど、それだからわたしは彼女が大好きなの。」
これを読んで、あ、と思い出したのが、ずうっと気になっている、ある女優による、マリリン・モンローを評した言葉である。
その「ある女優」というのはモンローと同時代の女優なのだが、実は私は、それが誰だったのか、そして、それをどこで読んだかも失念してしまった。
その内容は、うろ覚えであるが、たしか、こんな感じであった。
「マリリンは、夢の中に生きているような人です。ファンタジーの世界に生きていて、左右違う色の靴を履いて現われるような人です」
これを読んだとき、M・モンローに対して自分が抱いていた印象、「どこか非現実的で、ファンタジーの世界に片足だけ入っているような感じ」をまさに言い当てている、と感じ、それ以来ずっと、この言葉は頭の片隅にあった。
N・キンスキーとM・モンロー、たしかに2人とも、夢の世界に片足を突っ込んでいるような雰囲気があるが、似たような表現でこのように評されている、というのが、とても興味深かった。
先ほどの、「マリリンは夢の中に生きているよう」発言が気に入っている私は、今書いている小説の登場人物に、左右違う靴を履いて現われる、ということをさせたりもした。「彼女」はモンローやキンスキーとはまた違うタイプの人物なのだが、夢の世界の住人の雰囲気をまとわせたかったのだ。
しかし、モンローについて先の発言をした「ある女優」が誰なのかは、いまだにわからないままである。
とても鋭い人物評だと思うので、たぶん、ジョディ・フォスターと同じくらい、頭のいい人なのであろう。
余談になるが・・・(これまた先日書いた記事の話とちょっと関係がある)。
ドラマ「すいか」のことを書くために河出文庫より出ているシナリオを読んでいて、小泉今日子演じる銀行員、馬場チャンが、3億円を横領して逃走する際、左右違う靴を履いていた、という箇所で、そういばそうだった、となつかしく思い出した。
え?馬場チャン、あなたも?と、なんだか、うれしくなってしまった。