今さらだけど、ありがとう。
本当に、ちょっとしたことがきっかけで、考えというのはがらりと変わる。
そしてそれにともなって、自分も、自分の見ている世界も、すべてが変わるときがある。
大人になってから、あるとき、私は急に、小学生時代のこんなエピソードを思い出した。
たしか私は、小学校二年生だったと思う。
担任教師との面談を終えて帰ってきた母親が、私に、こんなことを言ったのだ。
「先生に、『お宅の娘さんはもっと自信をもっていいですよ』、って言われたわよ。『娘さんとお友達になりたい、と言っている子がクラスに結構いるので』、って・・・」
そのとき、たぶん私は、「ふうん、そうなんだ」と思っただけのような気がする。
ほめられても、その言葉が心の中に入らなかった、という感じ。
そしてそのまま、私はこのことを忘れていたわけだが、長い年月がたってから、ある日急に、記憶がよみがえってきたというわけだ。
私はそれまで、自分の学校での思い出にはろくなものがない、と決めつけていたので、あれ?と思った。
私、そんなことを言われていたんだ。
いつもの私ならば、小学生の頃に担任教師にほめられたことなど、「昔テストで百点を取ったこと、子供の頃かわいいと言われたことを自慢するようなもの。くだらない・・・」、と思いそのままにしていただろう。
しかし、そのときは、違った。
自分の子供の頃の記憶を、もっとさぐってみよう、という気になったのだ。
その結果、私は次々と、この担任教師の発言を裏付けるような出来事を思い出していった。
クラスの女の子から、「あなたと同じクラスになってお友達になりたいな、って思ってたんだよね」と言われたり、「お友達になりたいから」という理由でお誕生会に招待されたり。
そういえば私は、たしか、みんなから、「話がおもしろい」と言われていたような気がするな・・・。
なんだなんだ?と私は、思った。
私って、けっこう楽しい人生、送ってきたのかも。
これがきっかけで、私の中で、記憶の書き換えがおこなわれた。
大きな顔していた「嫌な思い出」の存在感がうすまり、「いい思い出」だけが、どんどん大きくなりはじめたのである。
そうなると、少女時代のことだけでなく、大人になってからのいい思い出も、次から次へとよみがえってきた。
あんなうれしいことがあった、あんないいことを言われた、と。
私は自分の小学生の頃の、それこそ、「テストで百点とっちゃった」レベルの出来事を思い出し、それを否定しなかったことによって、自分の人生に対する見方が、がらりと変わったのである。
また、去年の暮れ、ある心境の変化があったのだが、それによってさらに、楽しい記憶がよりあざやかになった、と感じている。
作家の田口ランディと整体師の寺門琢巳の対談本「こころのひみつ」は、心と体についてのとてもおもしろい本で私は大好きなのだが、その中に、こんな発言がある。
そしてこのあと田口ランディのほうが、「記憶はどんどん変えていっていい、心ってその程度のもの」という意味のことを述べ、それに対して寺門琢巳は、「(心なんて)なんの実体もないしとりたてて問題にするようなことではない」と答えている。
本当に、人生は思い込みなのだ。
そしてその思い込みも、ある日とつぜん、簡単に変わるものなのだ。「心ってその程度のもの」なのだ。
最後に、クラスの女の子にお誕生会に招待され、彼女の家を訪れたときのことについて書いておく。
まず、彼女の家がとても大きくてびっくりした。
そのときにはじめて、なんだかよくわからないけど彼女の祖父が「えらい人」だということも知った。
ご両親が出てきて、お誕生会に来た女の子たちに、まずお茶とお菓子を出してくれた。
「うちのお姫様はどこかな?」
とお父さんが言うと、お誕生会の主役である彼女が、足首まである長いスカートを履いて、登場した。
このお誕生会が終わったあと、彼女とどうなったか、というと・・・とくに仲良くはなることは、なかったのである。
中学にあがっても、親しくなることはなかった。
でも私は、あのとき、私のことをおもしろいとほめてくれた子たち、お友達になりたい、と言ってくれた子たちに、お礼を言いたい。
あの頃の私はぼんやりしていて、みんながほめてくれていることがわからなかったのだ。
今さらだけど、ありがとう!