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「自分」だけに属した画家、レオノール・フィ二。

レオノール・フィ二の絵の主役は、ほとんどが女性である。
(男性もときおり登場するが、彼らはたいてい、目を閉じて眠っている)
彼女が描く女性中心の世界はどこか神秘的で、スフィンクス、そして猫が多く登場するのも特徴である。
フィ二はまた、列車のコンパートメントで向かい合って座っている女性の絵も、よく描いている。彼女たちがなんの目的でその列車に乗っているのかはわからない。そして、その列車自体、地上を走る普通の列車などではない、別世界の不思議な乗り物のように見える。

レオノール・フィ二は1907年、ブエノスアイレスに生まれた。母はトリエステ出身、父はイタリアとスペインの血をひいていた。
裕福な家庭だったが、暴君の父から逃れるため母はフィ二を連れてトリエステへ戻る。
しかし、この父親は娘を取り返すことを目的に人を雇ってトリエステへ送り込んだという。フィ二は二歳のときに一度誘拐されたが、助けられた。こういった事情のため彼女は、幼少期、髪を切って少年に変装していなくてはならなかった。

「レオノール・フィ二 境界を侵犯する新しい種」(尾形希和子・東信堂)によると、彼女はのちに、周囲の子供たちに、「自分は子供の頃、子守りが別の乳母車から間違って連れてきたインディオとの混血児」「その証拠に、五歳までは猫のように細長くなる瞳を持っていた」というような内容のつくり話をするようになった。

特異な環境にあった彼女にとって、自分について語るとき、フィクションやファンタジーをまぜることのほうが「自然」だったのではないだろうか。そしてこの少女は、仮面やコスチュームをつけて変装して写真を撮られるのが好きになってゆく。
画家になってからもフィ二は羽がふんだんに使用された仮面をつけて写真を撮っているが、彼女は子供の頃からすでに、自分とそれ以外の存在のあいだにある境界線を軽々と飛び越えていた、というわけだ。
はじめは自分を隠すためにおこなっていた「変装」が、簡単に「変身」できるツールであることを発見し、楽しい遊びのようになったのだ。

澁澤龍彦は「幻想の彼方へ」(河出書房)の中で、このエッセイが書かれた当時まだ盆命中だったフィ二の年齢に関して、「正確にわからない。」と記している。そして、「たぶん、これは彼女が自分で意識的に、明らかにすることを避けているためであろう。」と続けている。
たぶん、フィ二には、「年齢という数字」でその人を判断する、ということそのものを嫌っていた、いや、理解できなかったのではないか?

レオノール・フィ二は、自分はシュルレアリスムの運動には属さなかった、と、発言している。
ここが最も、私がレオノール・フィ二を好きな点なのだが、彼女は、何かのグループに属するのではなく、自分に属することだけを選んだのだ。

世間は、ある人間を判断する際、わかりやすいようにレッテルを貼りたがる。境界線を飛び越え自由に変化し続ける存在を見ていると、とにかく、それについて分析し分類し、そして、名前をつけたくなってしまうのだ。
なんだかよくわからないこの生き物のことを、「名前をつける」ことで、なんとかつかまえてやろう、枠にはめてやろう、曖昧な存在など許せない・・・というわけだ。
しかし、フィ二はそういった世間のやり方を、その生涯を通して華麗に無視し続けた。

フィ二の生活は絵を描くことが中心で、ほとんど家に引きこもっていたらしい。
天使の恰好をして(それも、黒い羽に黒い衣裳)、仮面舞踏会に出かけようとしているフィ二、そして、フェリーニやダリなど著名人と一緒に写っている写真などが展覧会の図録に収録されているが、そういったものを目にすると、彼女がいつも多くの人々と交流し華やかな生活をしていたように錯覚してしまうが、そうではなかったのだ。

これを書いていて、PARCO出版から出ていたジョージア・オキーフの伝記を読んだときのことを、思い出した。
ほかのアーティストたちから離れて暮らすことを好んだオキーフに、あるインタビュアーが、「だってあなたはアーティストでしょ!」と言った。すると彼女は、「私は独りで自分の芸術に専念するのです」と答えたのだ。

自分以外の誰かと(それも複数)とつるんでいるうちに、他人の情報や言葉を無防備に受け入れてしまい、知らず知らずのうちに、自分の世界が他人の色に染まってしまうことがある。
オキーフもフィ二も、「私は、自分の世界を『自分』だけで埋めつくす。とにかく、自分の好きな色だけで塗りつくすのだ」という強い意志を持って、「一人」でいることを選んだのだと思う。

フィ二は日本の文化に興味を持っていて、着物をモチーフに取り入れた「帰還Ⅱ」という作品も描いている。しかし、飛行機嫌いということもあって来日はかなわなかった。
物事に明確な境界線を持たせるより曖昧な部分を尊重する日本の文化とレオノール・フィ二の姿勢には共通点がある、と私は思う。

ちなみに、タイトル画像に使用しているのは私物のポストカード。向かって右の絵がとくに好きなのだが、タイトルは、「VESPER EXPRESS」。「金星急行」と訳されている。
「金星急行」か。なんて素敵な響きなんだろう。

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イブスキ・キョウコ
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