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あたしは社交界より、動物園のほうが好き。レオノラ・カリントン「最初の舞踏会」

 社交界へ出たばかりのころ、あたしはよく動物園へ行ったものでした。あまりよく行くので、同じ年ごろの娘さんたちよりも動物たちのほうが、あたしにとってはずっと、お馴染みになっていました。

「最初の舞踏会」レオノラ・カリントン「怪奇小説傑作集4フランス編」  

これは、シュルレアリスムの画家、レオノラ・カリントンの小説、「最初の舞踏会」。

社交界へ出たばかりの若い娘が、語り手である。
彼女は、社交界に出るのが嫌で毎日動物園通いをしているうちに、若い牝のハイエナと仲良しになる。
そして、お互いの言葉を教えあうようになる。
娘はハイエナにフランス語を、ハイエナは、娘にハイエナ語を教え、二人でおしゃべりをして、(正確には、一人と一頭で?)楽しい時間を過ごすようになる。

しかしある日、娘の母親が、あなたのために舞踏会をひらく、などと言い出したため、娘は動物園へ行き、ハイエナにうったえる。

「いやんなっちゃうわ、あたし」と嘆く彼女。
しかし、ただ嘆き悲しんで終わり、ではない。実は彼女、ある計画を思い描いており、ハイエナに、これを打ち明けるのだ。
それは、ハイエナが、娘の代わりに舞踏会に出る、というものであった。

小説、といっても、五分以内に読めてしまう、短いものだ。
しかし、カリントンが描く絵のように、強烈な印象を残す話で、私はこの、「最初の舞踏会」が、大好きだ。
とても残酷で血なまぐさいのだけど、(かわいそうな女中のマリイ!)、でも、同時に、童話のような味わいもある。

私はこの小説を、工作舎から出ているカリントンの小説集、「恐怖の館 世にも不思議な物語」で、はじめて知った。
しかしその後、創元推理文庫の「怪奇小説傑作集4 フランス編」に、澁澤龍彦が翻訳したものが収録されている、と知って、こちらも買い求めた。
私は澁澤龍彦の翻訳が好きなので、読み返すときは、いつも、こちらのほうを読むことにしている。
(ちなみに工作舎では、タイトルは「デビュタント」、作者名はレオノーラ・キャリントン、となっているが、澁澤訳では、「最初の舞踏会」、レオノラ・カリントンとなっている。ここでは、澁澤訳を採用した)

翻訳、といえば・・・。
澁澤龍彦は、社交界などに出るより動物園が大好き、というこの魅力的な娘に、自分のことを、「あたし」と言わせている。
「わたし」「私」ではなく、「あたし」。

「最初の舞踏会」だけではなく、サドの翻訳でも、そうだ。
「悪徳の栄え」などでも、ジュリエットをはじめ女たち全員に、「あたし」と言わせている。

あたしは、いや、私は、これが好きでたまらない。
たとえば、「悪徳の栄え」を読んでいて、彼女たちが、「(略)あたしは自分の評判がわるいという確信をもてば、ますます内心で愉快を覚えるの。」だとか、「三国一の清浄潔白な夫が死んで、あたしは大喜びで喪に服しました。」などと、あたし、あたし、と言っているのを読むたび、なぜか知らないが、ぞくぞくしてしまうのだ。(引用は、河出文庫より)

「三国一の清浄潔白な夫が死んで、わたしは大喜びで喪に服しました。」より、「三国一の清浄潔白な夫が死んで、あたしは大喜びで喪に服しました。」のほうが、ずっと、ぐっときてしまう・・・。

ところでこの作品は、なんと、岩波少年文庫のホラー短編集のシリーズの第三巻にも、収録されている。
はじめて知ったときは驚き、そして、なんてセンスがいいんだ、と思った。(このホラー短編集は現在四巻まで出ているが、収録作品がどれも、いい)

このホラー短編集のシリーズの対象年齢は、「中学以上」となっているけれど、もしかして、本を読むのが好きな小学生が、うっかり?もしくは、なんとなく?手に取って読んでしまう・・・なんて、そんな素敵なことが起こるかもしれない。
もし、この小説と出会ってしまった子供がいたら・・・その子に、この素敵な小説の感想を、聞いてみたいものだ。

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イブスキ・キョウコ
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