僥倖 「ミステリと言う勿れ」
「ミステリと言う勿れ」に出てきた言葉で、
今、今年を振り返り思い浮かぶ言葉です。
僥倖
出逢いのことを言っていると思いますが、
単なる偶然以上の出会いで、
幸運な出会いのこと。
その偶然はまるで、神様の祝福かのようです。
ずっと待ちのぞんでいて、
叶わなくて、望んでいたことすら
忘れてしまった頃に
突然訪れるような出会い。
その出会いの意味するところは
深く、人生に影響をもたらす。
わたしにはこんな印象の言葉です。
辞書的に、僥倖 ぎょうこうは
「思いがけない幸運」です。
今年の7月17日に、
たまたま、ロマンポランスキー監督の「ローズマリーの赤ちゃん」を観ようとしたこと
そして観たこと。これは不思議な偶然で、
偶然以上の僥倖だったのではないかなと思えました。
そして、今日、芥川龍之介の「藪の中」を読んで同じような気持ちになりました。
先日このノートにも書いた、
なぜか忘れられなかった一節
「すべてこの世はこともなし」。
このロバート・ブラウニングの詩が、
「藪の中」の元になっていることを知り
それで読んでみようと思いました。
「藪の中」が凄い作品でした。
ひとつの事件に対し、食い違う複数の証言が書かれている。証言は、事実だけでも違うんですけれど、同じ出来事でも何を「感じた」かは、本当に人それぞれで、かけ離れているんです。
それがとても新鮮で深い印象を残す作品でした。
歴史上の事件であっても、
何が本当なのか嘘なのか、色んな角度から観る必要があるし、
だからこそ、直ぐにわからなくて当たり前だし
日常生活で人と関わる時に、
見えているものは、人それぞれ全然違うということを、
身に染みて覚えておく必要があるなと思いました。
話は「僥倖」に戻りますが、
今、なにが本当なのか、
本当だったのか
わからない…
果てしなくわからない…
これからどうなるのかわからないと
考えることが多い日々を過ごしています。
そこに
「僥倖」のように
深い印象や視点をもたらしてくれる
文学や映画に出会うことがありました。
素晴らしいなと感じた幾つもの
本や映画や漫画がありました。
「藪の中」が黒澤明監督の「羅生門」の
原作であることを最近知りました。
芥川龍之介の「羅生門」だけではなかったのですね。
溝口健二監督も、この複数の視点の映画が
あるようです。溝口健二監督の作品を観たのもつい先日です。
素晴らしい宝石箱が開いたような
清冽な湧水を見つけたような
嬉しい気持ちになっています。
深い愛を持って生きた人がいたから
愛を分けてくれる人がいたから
この「僥倖」が訪れたんだと思い
感謝、ありがとうの気持ちでいっぱいになりました。