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⑥(2)公立退職後と私立で復帰するまで

前回は、退職後は育児や断捨離に取り組み、なんとなく自分と向き合う時間が取れるゆったりした時期だったという話でした。

断捨離について少し補足です。なぜ突然断捨離始めたのかと言うと、上の子が生まれた時、ママ友たちのお家のきれいさに衝撃を受けたのがきっかけでした。同じマンションの同じ間取りと思えないほど、ママ友さんたちはすてきなお部屋に仕立て上げてました。私はと言うと、結婚当初(教員2年目)、夫(会社員3年目)と私の二人分の荷物をとりあえず詰め込んだままの部屋だったので(冷蔵庫や洗濯機などはさすがに1つにしましたが、それ以外はほぼそのまま)家具も無駄に多いし使わないけどなぜかあるもの、というのがたくさんありました。そしてそれをあまり問題に感じていませんでした。結婚が早めだったこともあり、あまり他の人の家を見たことがなかったのですね。そこで初めて同世代の他の人の部屋を見て、みんなこんなにきれいに暮らしてるんだ…!と、正直、ひっくり返るほど驚きました。笑 モデルルームじゃん…!と。すっきりと片付いていて住人の好きなものしかない部屋はとても居心地がよく、私もいつかこんな部屋に!という気持ちになりました。しかし、初めての子育てに追われ、1才児を抱えて仕事復帰した頃にはもうそんな願望は吹き飛んでいました。日々を生活するのに精一杯だったので…。

そして、退職後こんまりさんの本を一読するやいなや取り組んだ断捨離。断捨離は、自分と対話することが必須の作業、ある意味セラピーのようなもの。1つ1つの物について自分に「これ好き?」と問いかけていきます。それまで当然のように部屋にあった物に意識を向け、そして何より自分の気持ちに焦点を当てる。それまでにない完全に新しい体験でした。何かを選んだりする時に、「これを自分が好きかどうか?」についてほとんど考えることがなかったということです。そのことにも気付いてびっくりしました。

「私はだれの気持ちに沿って生きてきたんだろう?」そして、実際に目の前からものがなくなり、すっきりした部屋が現れるというのはものすごい達成感でした。脱皮したような気分でした。(たぶん)そして「これ好き?」思考はクセになり、仕事に対しても好きだったどうか考えてみました。

二校目の△△中は、とてもではないけど好きと思えない職場でした。みんながガマンの塊で、競い合うことが当然で、それについていけない職員は心を無にしてやりすごしているように見えました。愛情も平和も遠い場所。もう学校には戻らないなあと思いました。学校で働くのが当然だった私はもう「過去の私」になっていました。大量の授業本や作った教材、セミナーの資料なんかもごっそり捨てました。自分の中の「他人軸」の存在に気付いたのでした。ここから「自分軸」の獲得へのステージが始まっていきます。実際にはそんなにスムーズにできることではありませんでしたが(今も道半ばです)、学校で働いていたことは他人軸で生きてきた結果なのかもしれない、と気付いたのは大きな転換点でした。

しばらく育児中心の生活をしていましたが、引っ越しをしたことで事情が変わります。下の子が1歳になったばかりの時。私は子どもはできるだけ早く集団生活に入るのが良いと思っていたので、できればそろそろ保育園、と思っていましたが、1歳からの保育園入園は枠が少なく厳しい。仕事もしてないし無理だろうな・・と諦めていたところ、引越し先の地域は無認可なら在職中でなくても入れるということがわかりました。娘、1歳で保育園入園決定。ということは、私は仕事を探さなければならないということ。期限は入園から2ヶ月以内。とりあえずの仕事で良いから・・ということで、教育委員会を訪ねてみました。引っ越した市は、学校で先生のアシスタント的なポジションを多く設けていて、それなら空きがあるのでは、と思ったのです。

もう新年度が始まっていたこともあり、「あんまり期待しないでね。」と言われましが、次の日には電話が。しかもアシスタント職ではなく病休職員の代わり。「明日から来てください」と、近所の中学校で授業のみの講師として採用されました。その仕事が3週間。期間こそ短かったけれど、学力の高い生徒と授業ができてとてもエンジョイしました。それが終わった後、続けて違う中学校でアシスタント職を充てがってもらえました。

アシスタントの仕事は、先生方の印刷を手伝ったり、授業に入ってついていけない子がいたら声をかけるのがメインのはずでしたが、実際は外国人の生徒の取り出し授業、授業がうまくできない講師の先生の代打(メインで1ヶ月ほど授業しました)など、アシスタント職の枠を超えかなり多岐に渡っていました。当然服務規程から外れていたのですが、校長先生から人がいなくてね・・と懇願され、しばらくの間だけなら、と請け負っていました。その時は仕事は娘の保育園をキープするというの目的だったためどんな仕事でも気分的にはOKでした。しかし、さすがにこの待遇でこの仕事、2年目はないなと。仕事がきちんとしたいという気持ちが膨らみ始め、非常勤講師の職を探し始めました。冬休みに免許の更新講習へ。年明け、公立小学校の英語専科の内定をもらいました。小学校かあ、大丈夫かなあ、うるさいの苦手なんだよなあと思いつつ内定にテンションが上がっていた私。
しかしある日、運命のメールが!

こんなに書いたのに全然私立まで辿り着きません・・・(3)に続きます。

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