④教員3年目、波に乗れた理由
公立中→私立中高に異動経験のあるHSP(繊細タイプ)の教員が、今までの軌跡を振り返っています。(この3月に退職。)
前回、初めて教育の現場(公立中)に立って、カルチャーショックしかなかったという話をしました。日本で中学生活を送らなかった私にとって、公立中は「これじゃない」感だらけでしたが、若くて世間知らずだったこともあり「仕事ってこんなもんかな・・」と、けっこう頑張ってしまいました。1,2年目はちっとも活躍できてる感がなく、私にとって仕事は生活費を稼ぐためものでした。(あと親からやいやい言われないための防御壁的なもの)
自己肯定感ゼロのまま3年目、転機が訪れます。まず、私はとにかく「おしゃべりされてしまう授業」をどうにかしたいと思っていて、授業本をたくさん買っていたのですね。本に載っている先輩方のアイデアはやってみると確かに効果があり、自己流の授業よりもずっと食いつきがよくなりました。授業の入り方、音読のさせ方など、Tipsを次々に試してみました。
そして、本とは比べようもないほど景色が変わったのは「達人セミナー」でした。全国で活躍されているスーパーティーチャーの講義は、授業のコツなんていう浅いものではなく、いかに生徒と、授業と向き合うかという授業以前のところから教えてもらえました。
授業動画もたくさん見せてもらい、私は講師の中でも1人、この人になりたい・・!!!という人を見つけました。女性の先生で、元気ハツラツな雰囲気の方。けっして勉強が得意ではない生徒たちもぐいぐい引っ張っていく感じ。授業は生徒に息をつかせる間もない展開で、生徒が自立的に学習する工夫に溢れていました。これはモチベーションも学力も上がるよね、と納得。
感銘を受けた私はその方のすべてを真似し始めました。授業の展開・アクティビティの内容はもちろん、宿題の出し方や、話し方までコピーしました。そう、その先生になりきって授業をしましたよ!生徒からの評判は上々。保護者の間で「英語は○○先生に任せておけば大丈夫」という世論が形成されたそうで(校長先生談)、その頃研究授業で市内の多くの先生に授業を見学してもらったこともあり、私は「授業が上手な先生」として認知されるようになりました。私はもちろん自信が付き、教員としてやっていけそうかも!と思うようになりました。部活指導やクラス運営には相変わらずそれほど熱が上がらなかったものの、授業に関してはだれにも負けない、そんな気持ちになり毎日が楽しくなりました。
しかし、そんな時期はそれほど長く続きませんでした。笑 HSP族の方ならなぜなのかわかるかもしれませんね!産休明けて3年目まで初任校で勤務し、8年目、とうとう「異動」を初めて経験することになります。
次回は「うまくいき始めたと思ったのにそれを長く続けるのは無理だった理由」を書きます。