⑤教員生活、波に乗ったと思ったら続かなかった理由
公立中→私立中高に異動経験あり。HSPの元教員がこれまでを振り返っています。(現在離職中)
前回、この先生みたいになりたい!!!という先生に出会いその先生を「完コピ」した結果、授業がうまくいくようになり、教員としての自信も付いたという話をしました。今回はその後です。
小規模でアットホームな雰囲気の初任校で7年という長い時間を過ごし、8年目、初めての異動を経験することになりました。異動先は、管轄内で一番「行きたくない」と教員間で言われていた△△中。(管轄とは複数の市町村をまとめて呼ぶ単位です)生徒荒れてる、勤務時間鬼のように長い、校舎ボロボロ、管理職厳しい・・・と何重にも行きたくない要素のあるところでした。今でいうブラック職場そのものです。まあでも「学校」だし!初任校とは規模も何もかも違うけど、なんとかなるでしょ!と、楽観的な思いを抱えて赴任したのですが……残念ながら外れたのでした。
初任校との違い。いろいろありましたが、子供がいることに配慮がまったくなかったのがいちばん辛かったです。部活動のメイン顧問は外してもらっていたのでそれは配慮だったかもしれませんが、メイン顧問してなかった人は他にもいるし・・。若手だったこともあり、この学校に来たからには選ばれし教員、バリバリ頑張ることを求められていました。
思っていた以上に初任校とは何もかも違う生活が待っていました。軍隊のような雰囲気にはなじめず、信じられないことに教員間のいじめなんかもあって、1ミリも私の居場所とは思えませんでした。生徒もやはり大変で、授業中キャッチボールをされたこともあります。初任校の子たちも勉強好きではありませんでしたが、それに加えて授業中座っているのが難しい子たちでした。学年末の学力テストの結果もあまり良くなく、学年主任からは「英語ちょっとテコ入れしないとまずいね〜」と言われました。初任校でうまくいっていた授業の方法は、生徒が比較的すなおで良い子達だったから通じたのでした。
でも、いちばんの決定的な理由はこちら。モデルにしていた先生と私のキャラクターの違い。ここに無理が出ました。モデルにしていた先生のエネルギーは本当に凄まじかったのです。例えるなら夏の太陽のような。私のキャラというかエネルギー量ではちょっとついていけませんでした。初任校は1日多くても3時間の授業でしたが、△△中は5、6時間。やり方を変えなくては・・と思いつつ、授業研究する暇もなく燃え尽きていきました。
働き続けるのは無理。10月には退職の意志を固めていました。体力もメンタルももたない。朝保育園にだれより早く子どもを預け、朝8時に職員室に走り込み、夕方6時に車に乗るまで座れる時間はほとんどなく、保育園が閉まる7時に滑り込む。役に立ってる感はゼロ・・・これを続けたら倒れるな、と。子どもがいるから倒れるわけにいかない。うん、やめるしかない。年度末までの日数を指折り数えて心待ちにしていました。そうでもしないと「不登校」になってしまいそうでした。異動して1年、なんとか年度末まで走り抜き、教員を辞めました。
波に乗ったと思われた教員生活でしたが、異動先の学校が過酷だったこと、そして授業スタイルに無理があったこと、この2つが原因で8年目に退職することになりました。
でも、△△中に赴任したおかげで、私の人生のステージは早めに展開したんだなと、今は思えます。他の学校ならもしかしたら続けられたかもしれません。でもそうなら良かったとは思いません。教員、フルタイムの仕事を辞めたおかげで得られたことはたくさんありました。
次回は「教員を一度辞めたおかげで得られたこと」について書きます。