⑨『こんなに美しい月の夜を君は知らない』歌詞解説募集キャンペーン投稿録
これのその9。これで終わり!千秋楽!
(その8)
※当初、作成順に公開していた内容を『こんなに~』収録順に改めました。
サヨナラの意味(乃木坂46)
『サヨナラの意味』という楽曲において、取り上げたいのはサビで用いられたフレーズ〈サヨナラに強くなれ〉です。
この楽曲は、センターを務めている橋本奈々未さんの卒業に際して作られた所謂「卒業シングル」です。そんな楽曲に含まれた〈サヨナラに強くなれ〉という言葉は、ファンによって「突き放す言葉である」といった解釈がされてしまい、それに反論するようなニュアンスで槍玉に挙げられることの多いフレーズです。
しかし実際はそうではないように思います。ポイントとしては「誰が誰に言っている言葉なのか」です。
「誰が」に当てはまる者、それは歌詞中の〈僕〉です。そして「誰に」これもまた歌詞中の〈僕〉です。
結論から言ってしまえば、〈サヨナラに強くなれ〉とは、〈僕〉が〈僕〉自身に言い聞かせるように内心で繰り返した言葉です。
歌詞全体で見れば、〈サヨナラ〉〈別れ〉は輝かしい未来、新たな変化を迎えるためのステップであるように扱っており、歌詞全体としてはポジティブな方向に向かう内容になっています。
それは以下のようなフレーズから汲み取ることが出来ます。
しかし、それにしては〈サヨナラ〉〈別れ〉を辛く悲しいものと示す箇所がやけに多いようにも思います。全体でポジティブなことを謳っているとしたら、〈サヨナラ〉〈別れ〉に対する本音があけすけに語られ過ぎているのです。
上で「本音」と表現しましたが、まさに〈悲しみ〉〈躊躇って〉しまう様子は、〈僕〉の本音なのではないでしょうか。
旅立つことを決めた〈君〉のことを、〈この出会いに意味がある〉として送り出そうとする〈僕〉ですが、本心ではそれを受け入れ切れていません。
それでも送り出さなくてはいけない、否応にも別れは迫ってくる、だから〈僕〉は本心を隠し、それはありふれたことなんだと自らに言い聞かせるのです。
ですが、〈僕〉はいざ〈君〉を前にした時、本心を押し殺し自らに言い聞かせていたスタンスにほころびが生じ、言葉が出なくなってしまいます。
BメロおよびDメロに当たる箇所で、それが示されています。
Dメロの、視界に映るものの移り変わりを用いた時間経過の表現が出色で、個人的にとても好きな箇所です。
夕暮れ時から気付けば夜空に星が広がるまでになるほどの時間、〈僕〉は口を紡いでしまいます。
それ程高まった〈僕〉の想いは、最後の最後に爆発します。それこそがこの楽曲で最も重要な部分であり、真のメッセージを内包している、言わば「『サヨナラの意味』の本当の意味」ではないかと思います。
歩き出した〈君〉の背中に向けられた本当の想い、それが以下です。
〈失いたくない〉、それが〈僕〉の本心であり、〈君〉に本当に投げかけたかった言葉です。
歌詞の最後の最後に配置されたこのフレーズ、そこまでの高まりは類を見ない程ですが、まさに〈僕〉の感情と楽曲の構成とが一致した、素晴らしいものだと思います。
そして、そうあるからこそ〈失いたくない〉の説得力が増すというものです。
そうまでして打ち明けられたこの言葉を、誰が否定しようと言えるでしょうか。おそらく誰であっても不可能でしょう。
同時に、これこそがこの楽曲を通して放たれたメッセージであるように思います。
「それが心から出たものなら、正直に〈失いたくない〉と言ってしまって良いんだ」というメッセージです。つまり、〈サヨナラに強くなれ〉とは真逆のことです。「強くなくても良い」という赦しがそこにあります。
『サヨナラの意味』は現在まで乃木坂46のライブで度々歌われてきました。
それはグループから去るメンバーを贈り出す場が大半ですが、そこで素直に〈失いたくない〉と言っていい、そういった優しさを内包したのがこの楽曲であると思います。
この物語における〈僕〉をロールモデルに、本心を吐露することを赦す優しさを与えてくれるのが『サヨナラの意味』という楽曲の持つ力です。
それはまるで『君の名は希望』や『シンクロニシティ』のような、傍に寄り添う優しさにも通じていると思います。どこまでいっても「乃木坂46ならでは」のメッセージを持っているという訳です。
アンビバレント(欅坂46)
欅坂46の作品において、結果的にラストシングルとなった9th『黒い羊』の一つ前にリリースされたシングル『アンビバレント』です。
『黒い羊』の歌詞は、これまでのシングルで表現してきたメッセージや世界観を更に遡ったような、悲痛ささえある孤独が描かれていました。それは紐解いてみれば全てのプリクエルとして機能し、そこから繋がる未来の姿として『サイレントマジョリティー』や『不協和音』を配置できるような印象を受けるものでした。
『アンビバレント』もまた然りで、『黒い羊』から進んだ先のことを描いているとみて間違いないです。しかし、どこかこれまでの歌詞ともまた異なる印象を受けます。
端的に言えば、これまで壁を作り時に突っぱねていた「他人」「周囲の人」の存在を「必要ではないか?」と他ならぬ〈僕〉が感じる内容になっているのです。それらを「同調圧力」の象徴として距離を取っていたはずが、「人間は一人では生きていけない」と考えが変わりつつある様が描かれています。
冒頭から歌詞を追ってみると、これまで同様に「他人」への拒絶が記されているように思えます。拒絶と言うより、〈干渉なんかされたくない〉と書いているように、正確には「関わり合いを持たない」スタンスです。マイナスではなくゼロ、といったような感じです。
「~ない」という言い回しが怒涛に続いているのが印象的です。そこには上記のようなスタンスが現れていると言えますが、ここまで執拗に繰り返されると、もはや〈僕〉が必要以上に強情を張ってるようにも思えます。
そして続くパートで〈僕〉はその想いを立て続けに吐き出します。自分の言葉をわざわざ覆すようなそれは、まさにタイトルや歌詞にある通り〈アンビバレント〉=〈二律背反〉です。
〈二律背反〉な状態にあるように、その考えはどちらか一方に確定していません。否定側らしき態度で皮肉っぽく言いつつ、どこか気になっているからこそこんな風に言うような態度に思えます。〈多分〉に葛藤が垣間見え、何となく身の振り方は気にしている感じがします。
むしろ、あくまで〈ロマンス〉とは距離を置きたいような態度を取った上で〈一人じゃ生きられない〉とわかっている、という風です。乃木坂46の楽曲『Sing Out!』の歌詞には〈孤独は辛いよ〉とありますが、それ自体は『アンビバレント』の〈僕〉も感じているが何とも順応し難い、といったところでしょうか。
最終的な答えは楽曲の中で出ることはありません。強いて言うなら、〈僕〉がひたすら悩みに堕ちていく様子が描かれていますが、あくまで沸き上がったクエスチョンをそのまま公開したところで幕を閉じる歌詞です。
「恋の季節」なんてジェイポップよろしく表現されたりもしますが、訪れた〈夏〉に独りでいることを何だか気にしてそわそわしている〈僕〉です。
この後〈ロマンス〉に身を投じるかどうかはさておき、少なくとも「他者と共にいること」に向かっていこうとしているような、していないような、という塩梅で〈僕〉の気持ちが描かれています。
欅坂46としては、この後全てのプリクエルたる『黒い羊』に進むわけですが、もしかしたらその先には『アンビバレント』に示された更に次のステージが待っていたのかもしれません(10thシングルとしては『10月のプールに飛び込んだ』が用意されていたようですが、現状何とも言えません)。
今正解を確かめる術はありませんが、その「兆し」を『アンビバレント』から感じるのです。
青春の馬(日向坂46)
4thシングルカップリング曲『青春の馬』は、メンバー自身が「とても思い入れの強い曲」と語っており、日向坂46の本人達も重要なポジションにある楽曲だとして扱っています。
その歌詞には、聴き手の情熱を奮い立たせるような、熱い激励の言葉が綴られています。
実際に楽曲を聴いた(ライブパフォーマンスを観た)ファンは「勇気が出る」「頑張ろうと思えた」と声を上げており、メンバーに限らずファンもまた「日向坂46にとって大切な曲」と認知していることが分かります。
また日向坂46のドキュメンタリー映画『3年目のデビュー』では、この楽曲の振り入れの際、それを初めて目にしたメンバー達が揃って涙を流す(もはや止まらない)姿が捕らえられていました。
その後落ち着きを取り戻しつつ、熱が冷めやらない様子のメンバー達は以下のように言葉を交わしています。
同じ場で丹生明里さんはこう語っています。
それぞれの言葉を鑑みると、限りなく近い想いがメンバーの中で共有されているように思います。
その詳細を測る術こそありませんが、しかし彼女らがそう感じた正体は歌詞から探ることが出来ます。(もちろん、映画で観た限り、振り付けもセットで影響しているようですが、今回の試みは歌詞のみを材料にした読み解きです。)
丹生さんの発言によれば、『青春の馬』のメッセージを届けることがこそ日向坂46の使命であり意義である、といった風に捉えていることが読み取れます。
歌詞で書かれているのは、上でも取り上げた通り「応援」「激励」の色を持つ言葉ですが、より詳しく紐解くと「未知に向かうこと」を激励していることがわかります。
「(明確な)目標への挑戦」よりも「未来で何が待っているかわからないから不安」という想いに対して、背中を押すようなメッセージを放っていると受け取れるのです。
つまりこれは、例えばスポーツ選手が新記録に挑むことを応援するというより、人生の分岐となる未知の選択に差し掛かった相手に寄り添った激励と言えます。
迷い、立ち止まってしまった者に対して、「躊躇わなくていい!進め!」と熱く声を掛けている、そんな楽曲です。
そこで一歩踏み出し、駆け出すことが出来た〈君〉のことを、〈青春の馬〉と形容しているのだと思います。
そして同時に、『青春の馬』における〈君〉は聴き手だけを指していません。
ある意味、それこそが丹生さんや日向坂メンバー達の心にこの楽曲が強く刺さった理由であると思います。
『青春の馬』の歌詞において、「~したい」という表現が度々現れます。誰かを応援することのみに偏重せず、「僕」に当たる人物の主観も描かれている訳です。
応援されている対象の〈君〉と同じように、「僕」もまたチャレンジに身を置いていることが分かります。
こういった言葉からは、「僕もこうするから、君もそうしよう」といったような、背中を見送るよりも共に肩を並べて走る、相互に切磋琢磨することを望んでいるような印象を受けます。
結論から言えば、この相互関係は日向坂46と聴き手の間に紡がれたものでしょう。この曲は、一方的に応援しているのではなく、日向坂46が「私達も頑張るから、君も一緒に頑張ろう」と力強く声を掛けているものと受け取れます。
そういった意味では、この楽曲が示す〈青春の馬〉とは、同時に日向坂46をも指していると言えます。
けやき坂46として、決して順風満帆でない道を歩んできた彼女達ですが、改名・独立を経た現在は、その経歴も踏まえた上で確立した存在感や頼もしさを放っています。
それこそ当時〈見えない未来〉への道を歩んでいたのは彼女達です。暗中模索と表現していいように思いますが、「ハッピーオーラ」という信念をもって自ら道を切り開き、輝かしい現在に辿り着いた彼女達こそ〈青春の馬〉ではないでしょうか。
終盤の〈夜が明けていく〉〈青ざめた馬が大地を駆け抜けていく〉〈希望の光を浴びながら〉というフレーズからは、日向坂46の象徴である青空のカラーと、その名に関した太陽の光を想起してしまいます。
この楽曲に日向坂46自身の姿が重ねられているからこそ、それを何よりの裏付けとして、駆け出そうとしている人の背中を押すのです。
そのことを心で理解したからこそ、当のメンバー達も涙を流すほどに『青春の馬』を愛したのではないでしょうか。
制服と太陽(欅坂46)
3rdシングル『二人セゾン』に収録された『制服と太陽』は、「青春」な匂いがする世界観とストーリーが描かれており、『不協和音』以前であることも相まってなのか、欅坂46のナンバーとしても爽やかな印象を受ける楽曲と言えそうです。
しかし実際はわかりやすく爽やかな「青春ソング」とも言えない、〈僕〉の葛藤や取り残されたような感覚が綴られた歌詞になっています。
描写されている場面は1Aメロの通りです。〈教師〉や〈親〉に囲まれた状態で〈進路〉を性急に問われ、〈僕〉がふさぎ込んでいる状態です。
少ない選択肢から選ぶことを今この場で、と強要されている状況が描かれています。〈教師〉や〈親〉がそれを強要するつもりはないのかもしれませんが、〈僕〉の受けている重圧が、言葉をそのように感じさせていると言えます。
しかし〈僕〉は圧し潰されそうにはなっていません。提示された選択肢ではなく〈自分で決める〉と心に誓っています。それは〈僕〉が見据える情景によって示されています。その内にあるのは〈希望〉〈未来〉なのです。
(これまで過ごしてきた)〈自由〉を求めるその姿は、上に挙げたように〈心の光感じるまま〉を示すものですが、既リリース楽曲である『サイレントマジョリティー』と共通するとも言えます。
『制服と太陽』における描写は〈支配〉とまで言えないものとは思いますが、急かされるような状況を〈僕〉が嫌っているのは間違いないでしょう。
しかし、〈僕〉の心情を紐解いてみれば、むしろ似ているのは『世界には愛しかない』かもしれません。『制服と太陽』の〈僕〉は〈問い詰められてる〉状況を受け入れないのであって、むしろ〈大人になる〉ことは自ら求めている、ないし理解している様子です。
むしろ、それまで〈自由〉の象徴であった〈制服〉を脱ぎ捨てるとしています。
そうして飛び込まんとする〈校則の無い世界〉は、これまでと違う新たな〈自由〉が約束されたものです。それは同時に「責任」が付き纏うものでもあるでしょうが、そんなシビアさもおそらく〈僕〉は識っています。
結局のところ、〈親〉や〈教師〉に提示された通りの〈進路〉を進むことなんて成長ではないと〈僕〉は理解しているのでしょう。〈話の途中席を立って教室出よう〉と自ら選択することを掲げているように、自分で選んだ道を進んではじめて〈大人になる〉としています。
『制服と太陽』が示しているのは、そのような「自分で選ぶこと、進むこと」を推すメッセージです。うら若き学生である頃の「可能性に満ちている」ことを意味する〈自由〉から、「無数の選択肢から自ら選ぶ」権利としての〈自由〉へと転換する様を描きつつ、一貫して「〈僕〉の意志」を尊重し続けています。
〈制服は太陽の匂いがする/スカートは風に広がる〉との描写も見事です。身を包む〈制服〉が自然の力に運ばれんとするような描かれ方は、〈僕〉の身体を有機的に動かす方向へと向かわせます。
ある意味これまでにもあった「体制との対立」と読める歌詞ではありましたが、実際のところヒリヒリした感覚は残らない、どこまでも暖かく優しいメロディと世界です。
その後の欅坂46、そして現在の櫻坂46はこれとは違う方向性を進んだかとは思いますが、時折この雰囲気が顔を出してもいます。それがあるからこそ、安心して彼女らの楽曲群を聴くことが出来るように思います。
世界中の隣人よ(乃木坂46)
2020年、感染症対策に伴う緊急事態宣言が社会の全ての動きを止めた頃、『世界中の隣人よ』は配信シングルとして発表されました。楽曲に込められたメッセージは紛れもなくその情勢に基づいたものです。
その上で、その内容は乃木坂46ならではのものでもあります。これまでにグループが普遍的なメッセージとして放ってきた楽曲の歌詞を踏襲したであろう「誰かを救おうと放つ愛」が『世界中の隣人よ』にも託されています。
それは、何よりも『Sing Out!』が集約しているものです。この楽曲だけ、ということではありません。早くは『君の名は希望』で描かれていたり、その発展系としての『シンクロニシティ』があったりと、これまでの経歴の中で積み重ねていくように、乃木坂46のメッセージは育まれていました。
『Sing Out!』はその集大成的な楽曲です。ライブでも特に印象的な場面で披露される現在の代表曲の一つですが、その変奏として『世界中の隣人よ』はあるように思います。
感染症対策で巣ごもりを余儀なくされた情勢、医療従事者の方々が表に出て働かざるをえない状況に対し、「今こそ伝えるべきメッセージ」として、既にグループから卒業したかつてのメンバーも集められて製作されています。
むしろ、そうした歴代メンバーが再集結した背景も鑑みれば、こちらこそ文字通りの意味で集大成と言うか、記念碑的な楽曲であると思います。
もはや歌詞に書かれた個別の言葉をいちいち紐解くことは意味を為さないようにさえ思いますが、ともかく『世界中の隣人よ』の誕生経緯そのものが乃木坂46のサーガと言えるものであり、これ以上ない程に「しかるべきタイミングで製作・発表されたもの」であるのです。
〈部屋にいましょう〉〈壁の向こう側〉と指し示す具体的なシチュエーションは、おおむね現状通りの事象です。〈手を握らなくても〉とも、所謂「接触イベント」が現在は『オンライン・ミート&グリート』に差し変わったことから連想できるものです(当時はまだ実施されていませんでしたが)。
〈隣人〉というワードからは、キリスト教的なイメージを持つ発想もあるようです。しかしおそらくキリスト教の考え方に沿ったという訳ではなく、せいぜい「着想元にそれがある」という範囲に留まるものでしょう。
これは、それこそ『Sing Out!』『シンクロニシティ』に既に記された内容と同じものを示す言葉として〈隣人〉はあるように思います。
いずれも、〈そばにいる誰か〉〈ここにいない誰か〉へのメッセージが記されていました。言葉だけ拾えばそれぞれ異なる距離感を描いているようですが、むしろこれは「物理的な距離を超えた」シンパシーを届けんとするメッセージです。
実際に何メートル離れていようがいまいが、〈共鳴〉した心の距離は真近同然、という意味合いです。それを他でもなく届け手自身が信じているからこその〈隣人よ〉という呼びかけなのです。
そのどれもが、誘うような、共感を伝えるような言い方が為されています。どこまで行っても「共に」というメッセージなのです。
2022年現在も情勢は終息したとは全く言えません。今なお、『世界中の隣人よ』は"普遍的なメッセージ"として機能しています。
そもそも情勢が云々という話になってしまうとキリがありませんが、少なくとも楽曲の持つパワーはきっと人に対して絶えず働き掛けています。
それは『世界中の隣人よ』に限らず、上で挙げた『Sing Out!』『シンクロニシティ』『君の名は希望』、そしてこのほか様々な乃木坂46の、欅坂46、櫻坂46、けやき坂46、日向坂46の楽曲、ひいてはあらゆるポピュラーミュージックが持つパワーです。そのパワーに救われている人は多くいるはずです。
そんな想いが込められたものとして、坂道グループをひとつのシンボルに、『こんなに美しい月の夜を君は知らない』が刊行されたりしたんじゃないかなあ、なんて結論で、収録最後の楽曲についての考察を締めさせていただきます。
〈僕らは窓の空を見てた〉〈この部屋から祈る〉なのです。多分。
『こんなに美しい月の夜を君は知らない』、幻冬舎より発売中。
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