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思い出シェーカー

来年25周年を迎える唄人羽。150曲を超える楽曲の中に「思い出シェーカー」という曲がある。

2019年に発売されたミニアルバム「思い出シェーカー」のタイトルトラックでもある。

当時、BARをやっていた信ちゃんが仕事終わりの朝、ヘトヘトで駅まで歩いていたときに、たくさんの人とすれ違うなかで、路上時代に見に来てくれていたファンの子を見つけて、こちらは気付いたけど向こうは気付いたかどうかわからない…そんなドラマみたいな出来事が曲をつくるキッカケになったというエピソードは、とても印象深かったし、ライブでもよく話してくれていた。

先日の長崎公演で、本編最後に歌ったのが「思い出シェーカー」だった。

てっちゃんは「大好きな曲です」という一言に、どこがどう好きなのかと信ちゃんに問われ、この曲の一番好きな部分を丁寧に話してくれた。

いざ歌おうとしたときに信ちゃんがゆっくりと話し出した。

「俺らさ、長いことやってると、よく“昔と違うね”って言われるやん。でも、俺ら自身の想いは変わってないんよ。作り方もなにも変えてないし。でもやっぱり年齢的にも精神的にも大人になっていくから、ものの捉え方とか感じ方とかが変わっていくんですよ。そうなってくると、うん、、寂しく思ったりとか、僕らはいつもしてるんですよ。変化の中で僕らは生きていってるので。立ち止まってしまうとそこで終わっちゃうんでね。現状維持は退化劣化になっていくんで。とはいえ、自分たちは自分たちの想いは変わらずにやってるんだけど、、なかなかね、、やっぱりあの、、心無いことを言われたりすると、そんなつもりでやってたんじゃないんだけどな、とか、、いろいろね。闇堕ちしていくね、今風に言うと。だから、この曲を書いたんだと思う。」

私は、こういう風に自分の想いを正直に伝えてくれるところがとても好きだ。悔しいとか寂しいとか、なかなかファンには言いにくいだろうことも二人は言葉にして伝えてくれる。

「どれだけ丸裸になれるか」

唄人羽のうたが、ライブが、これほどまでに私に寄り添って時に心を揺さぶってくるのは、いつでも飾らない丸裸の二人だからこそ、なのかもしれない。

長く続ければ、いろいろな声もあがるだろうし、過去と比較されることもあるだろう。でもそれだけ二人が、いろんなことに挑戦してきた証でもあると思う。変わることが悪いことだと思わないし、変わらないことが良いことだとも思わない。

君に届けた唄は まだ僕に歌えるのかな

唄人羽/思い出シェーカー

立ち止まらなかった唄人羽だからこそ歌える、二人なりのアンサーソングのような気がして、大好きな歌詞は、いつも以上に胸に響いた。


6月10日(土)までアーカイブ残ってるので是非。
最後の最後、自ら配信ボタンを押しにきたてっちゃんの「ありがとう」の声がたまらなく好きです。←本編全然関係ない

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