お稽古事としての茶道
お茶は三密である。客は一畳に二人座るし(三人四人座ることもあるし)、濃茶は回し飲みをするのでアフターコロナでは完全にアウトだ。
stayhomeになってから先生方はお稽古を取りやめにした。お家元のお稽古もお献茶も取りやめになさった。
いつまでもやまないこの嵐の中で、それでも夏にはお稽古がおそるおそる再開された。お茶事をなされてる先生方もいらっしゃる。でも以前とは比べ物にならないくらいの細心の注意をはらって、人数をしぼり、距離を取り、消毒を徹底してのことだ。
私の先生が再開されたお稽古では、もちろん席中ではマスク着用が絶対だ。客は一畳にひとりゆったりと座る。マスクはお菓子を食べてお茶をいただくときの短時間だけははずしてもいいが、はずしたまま喋ってはならない。回し飲みが基本の濃茶も一人分ずつ点てるようになった。他の先生も似たようなことをされていると思う。
世界中に流行した疫病のせいで、新しいやり方がスタンダードになる、その可能性がある。それを体験していることに不謹慎だけれどもすこし興奮する。だって歴史が書き換わる、そこにいるのだ。
これの前に新しいやり方がスタンダードになったのは戦争の後だ。焦土と化した町で、それでもなんとか続けなければならないと、あり合わせのお道具で簡単にお茶を点てる点前。昔からあったものを整備してお点前になされたのが即中斎の盆点前だ。
話で聞く限り、戦争の後からコロナ禍まで様々な災害や出来事をを経ても、大きくやり方が変わってはいなさそうだ。私が不勉強なだけで実際には変容を続けているのかもしれないけれど。
茶道をする人口は減り続けている。完全な先細りだ。
人が集まって飲み食いする、そのことが避けられ続ける限り、お稽古事としての茶道がいったいどうなっていくのかは分からない。
希望としては22世紀まで生きた文化として残って欲しいし、誰もが気軽に楽しめるものであり続けて欲しい。抹茶スイーツだけが残ったらいいわけではない。
茶道だけではなく、コロナ禍をきっかけに多くのものが変わり、少なくないものが人類の手から失われていくだろう。栄枯盛衰とはいえとてもさみしい。ただ続けていくことしか私にはできない。
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