私の毒親からの独立日記② 容姿
私の父は
自分絶対主義者
でした。相手が親であろうと上司であろうと医者であろうと誰であろうと父の誤ちを指摘しても
自分は完璧な人間で見直さなければいけない所は何一つない
と素で言ってしまえる人でした。それを言われた時は母も自分ももう何も言えませんでした。
私は小学校に上がる前は母親の着せ替え人形状態で母の趣味全開の可愛い洋服や髪型をしていました。でも、毎日キツく縛られる髪が嫌で小学校に上がるのと同時に髪を男の子のようにバッサリ切って結べないようにしました。また水色に目覚め、持ち物は寒色で統一されてました。
私は小学校でHちゃんという親友ができました。彼女は一人っ子で彼女の親はかなりの放任主義で、彼女が欲しがるものは何でも買ってあげてる印象でした。遊ぶ時はいつも彼女の家で遊んでいました。
ある時、彼女が
『ピクニックごっこ』
という遊びを提案してきました。内容は彼女の家でおむすびを作って公園で食べるというものでした。
最初は勝手に台所の物を使ってもいいのか不安でしたが、家主の子である彼女がOKと言ったので、
私は彼女は自分の親に確認を取った上で誘ってきた
のだと思っていました。
また、私の母は家事ができず、基本的には外食か店屋物の食事でした。なので私は
家庭料理という物に強い憧れを持っていました。
小学校に上がり給食が始まると、
一汁三菜の食事、出来たての温かいお味噌汁、炊きたてのご飯、煮物など……学校給食にハマりました。
学校給食を沢山食べてお代わりして、放課後は友だちとピクニックごっこでおにぎりを食べて……
結果私は太りました。
両親は突然太りだした私に疑問を持っていたそうです。そして太った私を痩せさせるために
父がとった行動が『私の容姿を貶す』ことでした。
父の思想の一つに
『子どもを成長させる為には、子どもを貶し子どもの反骨精神をくすぐり努力させる』
という謎理論を持っていました。
なので父の中では
『お前は醜い』と罵り貶し続ければ 『ムカつく!!アイツを見返してやる!!!』
となり私が自主的にダイエットを始める
と考えていたみたいです。
確かに世界仰天ニュースなどのダイエット特集ではイジメや容姿を貶された悔しさからダイエットに成功した話をよく見ます。
でも言葉の捉え方は人それぞれです。
ましてや当時私はまだ7歳でした。
7歳の子どもを一方的に貶せばどうなると思いますか?
私は自信がなくなりました。
醜い自分が女の子の格好をしてることが異様に恥ずかしく感じました。
例えるなら80歳のおばあちゃんが女子高生の制服を着て街を歩いているような。
醜い自分が身なりを気にするなんて例えのような滑稽なことと思うようになりました。
またHちゃんの親から
『夕飯用に炊いておいたご飯を子ども達が遊びで食べてしまってるようなので、うちの子にも注意しましたのでSpringちゃんにも伝えておいて下さい』
と連絡が来ました。
それを聞いた父親は怒り怒り怒り
『お前は人様の釜の飯を食べてそんなぶくぶく豚のように醜く太ったのか!?!?』
と怒鳴られ殴られ怒られました。私はそこで初めて友だちが親に無許可でピクニックごっこを提案していたことを知りました。知ってたら私は友人を止めてた。だけど親には経緯より結果を重視され、
私への罵倒と貶しはより悪化しました。それは大人になった今でも掘り返されて言われます。
それから私は小学校6年間男の子のような格好で過ごしていました。たくさんの人に男の子と間違われました。でもその頃は自分が女の子に見えてないことに安心さえ感じるようになってました。
思ったより長くなってしまったので今日はこの辺で終わりにしたいと思います。
続きは明日上げます。是非感想などありましたらコメントを下さると嬉しいです。
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