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視線と、不安と、行動範囲

お久しぶりです。haruoです。
さて、前回ヘルプマークについてお話したので
その結果を徒然なるままに。

リワークスタッフと相談してみた

私程度で、吊るしてていいのか?
という話。
事実として、
 動悸で立っていられなくなる
 その恐怖心
 目眩
 疲れすぎて(薬が切れて活動の反動)で突如とした眠気で脱力
 ストレス制頭痛
 人混みでの音、ニオイの感覚過敏による辛さ
 迷惑をかけてはいけない過度の緊張
が私の経験ではある

また、それが嫌で
いえからでたくない
そんな日もある。

だからこそ、
日常生活を、過ごすためのお守り
として持つことにした。

実際の公共交通機関での体験


普段は表に出さず
しんどくなったり、
人の多い車両だったり、
衝動的になっていて落ち着けなかったり
感覚過敏を感じたら表に出す
そんな運用をしてみている。

2週間。
何度か、お願い、せめて隅っこに!
というシチュエーションには遭遇した

しかし、

ヘルプマーク保持者へ
席を譲ってくれたのは
一人だ。

これが、紛れもない事実。
 老若男女問わず、周りなど見ては居ない。

優先座席であれ、それは起きる。 
見えててもスマホゲームにいそしむのだ。

それはもう、心が折れました。
妊婦が前にいても、譲らない人も多い。

わたしは年代的に妊婦の友人も多いのだが
苦労を察した瞬間だった。

一番えげつない人物は
息子と二人、明治神宮から乗ってきた男性。
優先座席で、堂々とお菓子を食べ
空いていたペットボトルに、ゴミを詰めだす。
息子も当たり前に飲食&ゲーム。

なにがつらいかというと、優先座席なのに
臭い
うるさい
この2つ。
マナー云々は置いておいて、
悪阻であれ、私のような感覚過敏であれ
さけたくなる。

退いてくれとは言わない。
だけれども、せめて、周囲への配慮がほしい。

結論、私がヘルプマークを付けようが
うごけなくなるかもしれない。その怖さ
前兆から逃れることはできなかった。

朝の満員電車、夜の満員電車、昼間の各駅停車の電車、バス。
どこにいようとも、きっと周囲の人からは
そもそも注意は自分のスマホにあり周りなど見ない。
見えたとしても、なにかアクションには繋がらない
どちらかというと、不思議な目で見られるだけで終わるのだ。

さらして歩く意味は
本当に倒れるまで、起きないのかもしれない。

倒れた時のヘルプでしか無いのかと思うと
倒れないように、無事に家につけるように
隠しながら祈りながら。

 他人に頼ろうなんて考えが甘いのかもしれない。

健常者の 普通 の社会に合わせながら背伸びをして生きる。
だれかの助け は期待できないと痛感した。
オープンにしようが
クローズにしようが
かわらないのかもしれない。

 自分が強くなるしか無いのか。

薬を飲めば、車の運転はしにくくなる。
さらに、公共交通機関でも、怖さが消えない。
そうなると、残るのはちいさな世界。行動範囲。

 無理をしない。そんな生き方は夢であり
 現実的ではないのだろうな。
 大多数の【普通】に振り回される人生
 共存ではなく
 おじゃまします。
 な感覚。

堂々と人混みをなにも気にせず
歩いていた頃が懐かしい。

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