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山王海ダムと木炭の話

「山王海は木炭の生産地だった」と聞いて…

 紫波町の西側には「山王海ダム」があり、町の基幹産業である農業を支えています。ダムが無かった時代には農業用水を巡って水げんかが度々起こり、ひどい時には死者が出るほどだった事を小学生の時の地域学習で学びました。

 今はダムとなっている山王海地区は、かつては分校が建つほど人が暮らし、木炭生産と農業をしながら生活していたそうです。このことは町の森林・林業に詳しい方々から聞いたのですが、そのときの驚きはとても大きいものでした。
 なぜなら、木炭生産量が全国1位の岩手県で生産が盛んに行われているのは県北地域だと学生時代に森林・林業分野の講義で聞き、また紫波にずっと住んでいながら炭焼き職人の話は聞いたことが無かったからです。それに加えて、北上高地(山地)の人々の暮らしや森林利用について書かれた文献を多く読んでいたこともあり、木炭生産と農業をしながらの生活は、岩手県では県北地域や北上高地の山間地域で暮らす人々の生活という認識だったのですが、紫波町の西側の山間地にもこのような暮らしがあったのです。

 山王海地区が木炭生産地だったことを知ってから、当時の集落の暮らしや木炭生産、森林利用の事などが知りたくなり、文献を探して調べてみると、ダムに沈んだ今は無き集落のヒストリーがありました。

紫波町役場Webページ 【広聴・広報】ふるさと物語 より

 役場のWebページに「ふるさと物語」として町の歴史や人物について読み物風に紹介しているページがあり、山王海に製炭伝習所を開設した田口倍次郎を紹介する記事に、当時の山王海の様子や木炭生産の事が記されていました。

・山王海部落−といっても、今では人の住まない物語の里と化してしまいましたが、かつて、ここに三十数戸の集落が営まれていたころには、山王海といえば、県下でも屈指の木炭の産地として名をなしていました。その最盛期は、大正年間から終戦直後にかけてのことでありますが…(略)

・山王海部落は、すでに藩政時代のころから製炭に従ってきたところであり、しかも原木が豊富なところから、その生産地としてはまこと好条件を備えているところでしたが、おしいことには、まだ白炭の製造技術しか知られておらず、それもカマの製造技術が幼稚であったために、一カマから十俵以上の生産をあげることはほとんど不可能な状態

・倍次郎は、その改善こそが先決であることに着眼し、明治三十九年には、当時その道の大家として知られていた広島県高田郡の楢崎圭三を招いて山王海に製炭伝習所を開設しました。その結果、この地に初めて黒炭の製造技術が導入されただけではなく、一カマの生産量も在来の三倍から五倍までも飛躍的な向上をみるようになりました。

・山王海の元山祗神社境内には、倍次郎の発起によって建立された楢崎圭三の顕彰碑がのこされています。

【広聴・広報】ふるさと物語 125 『産業を振興する人々-田口倍次郎-』近代人物脈(10)/紫波町|【企画課】ふるさと物語|企画総務部|組織から探す|紫波町役場 (town.shiwa.iwate.jp)

山王海物語 立花 廉二著

 町の図書館で昔の山王海についての資料が無いかと探し、ダムに沈んだ集落を書き記した書籍「山王海物語」を見つけました。

・山王海の木炭生産は、明治以降とくに力を入れられるようになった。その背景には、山林行政に対する歴史的一大事が起こったことがある。林野の所有権は、明治七年(1874)の太政官布告「知所名称区別改正法」によって、歴史的所有権確認の一大事業による土地官有区分が行われた。
 明治九年(1876)「山林原野官民有区分法」によって、「村持山については、まぐさなどの貢租を支払ってきたものでも、天然の草木を利用するだけで、積極的に培養の努力をしなかったものは、民有地と認めず官有地に編入する。」というように厳しい明治維新の波が押し寄せてきた。

・木炭生産が脚光を浴びたのは、明治二十三年に、国有鉄道が敷設され、交通が便利になったからではないだろうか。(中略)明治三十八年の東北地方をおそった大冷害で、農山村の被害は大きかった。(中略)農山村の救済事業として、製炭の改良に努めるようになった。

・弟倍次郎は、製炭技術改良に熱中するようになった。山王海に製炭伝習所をつくった。
 明治三十九年県の指導と相呼応するかのように、時の製炭指導者であった広島県の人、楢崎圭三翁を招いて、製炭技術の指導を山王海で実施した。

山王海物語 立花 廉二著 熊谷印刷 1985年  

山祇神社

 山王海地区のダム建設が決まり、山王海の住民がまとまって移住したのが紫波町の片寄地区でした。元は山王海地区にあった山祇神社も、それに伴って片寄地区に移りました。神社の敷地内には山王海製炭伝習所で製炭技術を指導した楢崎圭三翁の顕彰碑が設置されていました。


楢崎圭三翁顕彰碑
楢崎圭三翁顕彰碑の解説板

木炭生産の現状

 冒頭にも記しましたが、岩手県は木炭生産量が全国1位です。生産量が多いだけでなく、山王海製炭伝習所から生産技術の規格化が始まり、現在では「岩手木炭」「岩手切炭」として高品質化された黒炭は、アウトドア業界や飲食業界から注目され、また日本各地にとどまらず海外からも注目されています。しかしながら、岩手県木炭協会によると現在紫波町内で木炭を生産している人はいないそうです。
 山王海ダムにはダム底に沈んだ集落があり、そこで暮らす人々は木炭を生産していたこと。その後、岩手県の木炭生産量が日本一となり、高品質な木炭として注目されていることをもっとたくさんの人に知ってもらいたいと思いこの記事にまとめました。

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