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ようこそ 春の白鷺城へ 【その弐】
桜と詩歌と世界遺産 * ひめいち【番外編】
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世界遺産であり国宝、さくら咲く*白鷺城のご案内をしています。
この記事には前編があります。初めての方は【その壱】もご参考に。
※白鷺(はくろ)城は姫路城の別名です
【その弐】は、有料入城ゲートを入ったところ、菱の門からのご案内です。
5.菱の門~三国堀【世の中にたえて桜のなかりせば】
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世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
よのなかにたえてさくらのなかりせばはるのこころはのどけからまし
在原業平
なるほどなぁ、桜がこの世になかったらどれほど穏やかな春を過ごせるか・・・
桜の歌といえば西行ですよね。彼も
花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にぞありける
はなみにとむれつつひとのくるのみぞあたらさくらのとがにぞありける
桜に人々が集るのは桜の罪ではないけれど・・・
ん~、解るような気も、と思う反面
私たち一般人が桜を観ると幸せホルモンが増幅するのはDNAのなせるわざ。いやも応もない千年続く心理なのです。
見てください、お花見客の幸せそうな顔、顔、顔。
桜のないのどかな春かぁ・・・ん~、ないない。これはない。
”世の中にたえて桜のなかりせば春のお城はありえないかも” ですよね。
業平自身も姫路を訪ね、”播磨路や糸の細道分けゆけば砥堀にみゆる有明の月” など残しています
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混雑状況をあらかじめ確認しておくべし、ですね
さっ、気を取り直して後半戦開始。
城内で最も豪華とされる門。菱の門から二の丸へと参りましょう。
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三国堀を前にして、みなさんは選択を迫られます。
そのまま直進して、いの門、ろの門とひたすら天守への道を進むか、
左へ折れて、西の丸へ寄り、千姫を偲ぶか。
筆者がビギナーさんをご案内するとすれば、迷わず西の丸へ向かいます。
ささ、こちらへ。
6.西の丸【千姫物語】
千姫が多くの時間を過ごしたこの場所、訪ねない手はありません。
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西の丸には千姫の夫、本多忠刻の中書丸という屋敷がありました。
忠刻は宮本武蔵を剣術の師とする文武両道のしかもイケメン。(たぶん)
大坂の陣で深く心に傷を負った千姫を包み込むように優しく癒やしてあげたのです。
■千姫物語(ショートバージョンで)
1597年、将軍徳川秀忠の長女(家康の孫娘)として産まれた千姫。
母はお市の方の末娘、お江(つまり織田信長の姪)。
まだ幼いこの千姫を政略に利用したのが豊臣秀吉、わずか七歳で豊臣の世継ぎ秀頼と祝言をあげます。
そして、12年後の大坂夏の陣。
父や祖父からの容赦ない攻撃を受けたのです。どれほどの喪心だったか。
秀頼や伯母でもある淀君とともに自害を覚悟していた千姫ですが、燃え落ちる大阪城から救出されます。この時千姫はまだ十代。
傷心の千姫が江戸に帰るとき、立ち寄った桑名城で出会ったのが忠刻。千姫の第二章が始まります。
家康の計らいもあって二人は結婚。このとき幕府は千姫に化粧料という名目で十万石の知行を与えました。(十万石の大名と同じ石高ということ。大名とてそうはいません)
白鷺城に移り住み、長女勝姫、嫡男幸千代の誕生など、束の間のしあわせな時を過ごします。
そんな時間も幸千代の夭折から暗転します。わずか三歳、可愛い盛りでした。そして、夫忠刻が病死したのがその五年後、彼はまだ30歳。
本多家が幸福の絶頂期に一族で詠んだ連歌が残されています。その中から、
初秋の風を簾(すだれ)に巻とりて【忠刻】
軒はにおほふ竹の葉の露【お千】
微笑ましくも、後からおもうとせつない。
その後千姫は、江戸城に戻り七十年の生涯を全うしましたが、
これほど時代に翻弄され、究極の悲しみと幸せを経験した姫君は他にはいないでしょう。
きっと何年か後には、大河ドラマとなって全国に千姫ブームが起こりるに違いない、ですよね。(個人的予測=願望です)
このあたりで現在地確認。西の丸(庭園)にいますよ~。
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これから、西の多門櫓内に入って化粧櫓まで進みます。
この多門櫓の中は百間廊下と呼ばれる長い長い廊下。
この廊下、実際の長さは240m!。1間は2m弱ですので、名前以上の長さなのです。
ここには、歴代城主の紹介パネルや千姫ゆかりの羽子板、城郭に使われていた瓦、家臣に関わる書物などが展示されています。
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この日は2月下旬、薄手の靴下では冷たかった~。お城関係の方、スリッパとかご一考を
百間廊下の最終地点は、化粧櫓と呼ばれた千姫が寛いでいた部屋。
現在は、忠刻、千姫の着物(復刻版)が飾られていました。
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次はいよいよ天守に向かいます。
(再掲)
千姫の春やむかしの夢の跡 梶子節
7.二の丸~天守へ【どこを見ても桜】
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城郭内の天守への道は、侵入してきた敵をあざむくためでしょう、遠回りで入り組んだ迷路のようになっています。
白壁に開けられた、四角や丸や三角などの狭間(さま)も鉄砲や弓矢でみなさんを狙っているように見えるかも知れません。
でも、大丈夫ですよ。城内で戦が起こったことはこの城の700年の歴史の中で一度もないのですから。
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右は天守の入り口、水の五門(連立天守のニの渡櫓でもあります)
この間に七つの門をくぐらなければたどり着けません。ご安全に
清らに澄める蒼穹に 偉なる姿を仰ぐとて
白鷺の城よ永遠の 故国を偲ぶ郡(むら)ごころ ・・・
童謡「赤とんぼ」の三木露風と*有本芳水がコラボした「白鷺城回想の賦」の一節です。城の北側の公園に歌碑があります。
上の二人の他にも、柳田國男、和辻哲郎、椎名麟三、阿部知二 ・・・
播磨・姫路は、明治~大正~昭和の初めと文学の傑物たちを輩出しました。
※有本芳水:「実業之日本社」取締役、「日本少年」主筆
彼の詩集「芳水詩集」は版を重ねること三五〇版!。大正~昭和初期の少年少女に絶大な人気を博しました。(この本の装幀挿画は竹久夢二)
8.そして天守【奇跡の城】
天守閣の見学は穴蔵(地下階)からになります。
地下と言っても、地面の下ではなくて石垣に囲まれた暗い階。だから穴蔵。噂の? 厠(かわや)から話を始めましょう。
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(注!:ここで用を足してはいけません、国宝かつ世界遺産ですぞ)
この厠(かわや)は籠城のために設けられている”超”非常用のトイレ。
白鷺城天守、ご存知のように外観は優美な姿ですが、内部は当然ながら戦いのための軍事要塞です。
で、築城当初のまま今も姿を保っている現存天守(全国に12)のうち、籠城用の厠を持つ城はこの城だけなのです。
なお、ここは幸い戦の舞台にはなっていませんので(天守は神聖な場所ということもあり)このトイレが使われたことは一度もありません。
※現在、厠内部は一般公開されていません。
他にも、この階には炊事用の流しや塩を貯蔵するための倉庫などがあります。徹底抗戦の準備は常に怠りなく、です。
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一階と二階は同様の造りになっています(画像はコロナ禍。誰も居ない!)
一、二階に上がると穴蔵の暗さが嘘のよう。(この城は窓が多い)
鉄砲や矢を射かけるための石落としや火縄を掛ける釘。鉄砲や槍を掛けるための武具掛けなど、防御設備がいたるところに設けられています。
みなさんは今、四百年前の城内を目の当たりにしているのです。
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東大柱は築城当初からのもの。西は昭和の大修理時に取替済
三階は、天守の中で最も天井が高い階。地階(穴蔵)から最上階(六階)の床下まで突き抜けている大柱がよく見えます。全長約25mの心柱です。
他にもこの階には、武者隠し(敵が攻め上がってきたときこの中に隠れてゲリラ戦?を戦う)や、鉄砲や矢を射るための石打棚が設けられています。
四階は、三階の約半分の面積。上に行くほど狭くなります。
でも、四方向に石打棚と、まだまだ戦意は旺盛です。
そして五階。「あれ?、まだ上の階があるやん。外観からは五階建てに見えたからここが最上階と思ってたのに・・・」って声が聞こえてきます。
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この五階、やたら暗くて天井も低い。
そう、実はこの階、今でいうロフト。四階の屋根裏的存在なのです。
だから、外から観てもわからない階なのです。
まやかしの階と呼んでいます。(筆者が言っているだけです)
そして六階、最上階。
この城の守り神(いや、姫路城下の守り神)である刑部神社が目を引きます。でも、よく細かいところを見てください。(普通のお客さまは、この神社と窓の外(絶景ではありますが)ばかりご覧になります)
天井は竿縁天井、壁には長押、金箔の(六葉)釘隠し、舞良戸と書院風の造りになっているのです。
かつては内側に障子も立てていたとか。
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ただし、殿さまやその家族等がこの天守で暮らしたということはありません。天守閣はあくまで城郭の最終防御地点、平和になった江戸期の中頃以降は権威の象徴でしかなかったのです。
正直、維持費などを考えると天守閣は、藩によってはお荷物的存在だったのかもしれません。
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城内の桜は約千本とか、千姫にあやかって?
姫路城は「さくらの名所百選」にも選ばれていますが、この景色を見ると百選どころか、ベスト1!ですよね。(個人的見解)
そして、【その壱】で少し触れた、第二次大戦中の空襲のこと。
『奇跡』のお話です。
1945年(昭和20年)7月3日深夜からの姫路市街地への空襲。
米軍爆撃機B29編隊106機が飛来。午後11時50分から約1時間半、9129発計767トンという大量の焼夷弾が姫路の市街に投下された。
姫路城は結果的に無事だったが、爆撃の標的から外れていたということではなく、爆撃機のレーダーに映った濠を沼地と勘違いした搭乗員が焼夷弾の投下を控えたという。
ただ、城内にもいくつかが着弾し、三の丸にあった中学校の校舎が炎上したほか、西の丸の一部も被害を受けている。
そして、天守最上階にも焼夷弾一発が着弾していた。
屋根瓦4枚を吹き飛ばし、六階の床に転がっていたのはM47焼夷弾。
直径20cm、長さ1.2m、重量45kg。内部にはゼリー状の油脂18kgが充填されており、着火すると爆発的な燃焼が引き起こされる。
駆けつけた不発弾処理兵2名が、まさに必死の思いで焼夷弾を抱え、あの狭くて急な階段を降り、運び出した。
阿部知二は、その空襲の様子を次のように記している。
” …(前略) … この街もB29の編隊の爆撃をうけ、城の南も東も西も北も、その足元まで火がふり注ぎ、街は大半焼けてしまつたが、どうしたということだろう、ただこの城の一廓だけが、すこしも焼けずに残つたのだ。
空がいちめんに赤々と燃えあがつていた時、疾風と轟音とがうず巻く真中に、城は、その白い甍(いらか)と壁とを火の色に染められながら、昼間にみるよりもけざやかに空にきらめきながら立つていたのだが、それは、妖しい生命をもち妖しい美をもつ一つの怪鳥、生霊、とでもいうべき姿だつた。”
【城ー田舎からの手紙】より抜粋
姫路城の奇跡はこれだけではありません。
明治維新時、尊王派の備前藩に姫路討伐の名の下に包囲され、大砲まで撃ちかけられたとき(姫路藩は、元々譜代大名であり佐幕派とみられていた)。
もし、藩士の一部でもこれに応戦していれば、築城以来初めて戦の舞台になっていたかも知れません。
※地元の姫路藩上層部は、朝廷を敵とすることは毛頭考えておらず、結果的には無血開城しました。
そして、その後の老朽化。
それまでは、藩という存在があり、傾きかけた天守を何度も修築してきたのですが、当初の明治政府は城郭の保存修理まで手が回らず、至る所で瓦が落ちたり、壁や石垣が崩れたりと荒れ放題だったといいます。
全国250の城郭の内、200城近くが廃城となりました。
そのうち軍内部からも(名古屋城などを含め)名城を存続させようという声が上がり、保存への方向付けがされるわけですが、本格的に修理が実施されたのは、市民の声「白鷺城保存期成同盟会」が結成された以降になります。
明治の終り頃まで、6000tともいわれる天守の質量を、土と石だけの地盤が懸命に支えていたのです。(実際に地盤が強化(コンクリート化)されたのは1964年完成の昭和の大修理の時でした)
『奇跡』のお話で、時間を取りました。
天守を降りましょう。
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天守の見学を終えて、備前丸に降りるところを振り返ってみてください
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左下の玉垣?で囲われているのが、『お菊井戸』です
お菊井戸についてだけでも書きたいことはヤマほどあるのですが、今回は触れません
伝説は伝説のままで
次の画像からは、動物園内(もしくは周辺)からの撮影です。
世界遺産と城を満喫ください。
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残念ながらゾウさんはもういません
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(今のところは希望的観測ですが)
ちなみに、現在の動物園の入場料は210円(小人30円)。
物価高の世にあって、あっぱれな料金ですよね。
9.エピローグ
さぁ、そろそろ和船の予約時間です。
名残惜しいのですが、内曲輪を出ることにしましょう。
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散る桜 残る桜も 散る桜
生者必滅を詠った良寛和尚の辞世の句です。一日一日のたいせつさを詠っているのですね。
今日という日はもう帰ってきません。だからこそ、今の桜を心から愛でるのです。
良寛は、平明な言葉の句が多く、よけい心に沁みる気がします。
なかには、こんな句も。
ほろ酔ひの あしもと軽し 春の風
JRだと少しくらい呑ませてもらっても大丈夫。
ゆっくりと駅まで、春の風に吹かれて帰りましょう。
駅までの間に、名物の姫路おでんや穴子料理、アーモンドトースト、どろ焼き等を召し上がっていただくのもよろしいかと。
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また違う雰囲気が楽しめるのでしょうね
【少しだけ筆者の紹介】
数年前に、運良く姫路検定試験1級に合格。市のふるさと大使を拝命しました。
ただ、「ひめいち」という姫路検定1級試験の応援サイトを(この note 内で)開いてはいますが、地元に貢献しているかどうか疑問な訳です。
そんなことで、少しでも姫路城観光にお役に立てたらと思いこの記事をつくった次第。
他には、詩歌を愉しむことを趣味にしており、短歌、俳句から最近では都々逸にまで手を伸ばしています。川柳では、サラリーマン川柳傑作選という本にも載せてもらったことがあるんですよ。
要するに節操がないんですね、ひとつもモノにはなってませんし。
(それでも、同じ note 内で、教えられたり教えてもらったり(←いっしょやん)してもらって精進しています)
でも、これこそアマチュアの強み、だと思っています。愉しめばいいんですよね。
今後ともよろしくお願いいたします。
長々とご覧いただきありがとうございました。
では。春の姫路城、桜の下でお会いしましょう。