垂れ流し弔い-12-
自己同一性、連続性を失うことはないが、記憶は失われ続け、どこかに貯蔵されてた想い出が、キラキラ遠くの光の星々の様に光っているだけなのである。それをどの様に見つめているかは人それぞれ。
生きるということ。
生モノをいくら保存しようとしたってそのまま保存はできないように。
乾燥させたり、燻したり、残すことはできてもそのままでないように。
反芻させて、形をなぞり、物語にすることで忘れない記憶達。真を記録できることなどなく、人生は生モノだ。私も間違いなく生物なのだ。
こぼれ落ちていく記憶の中で、来世なんかいらないけど、いつまでも来世にしかいけないのだから、それならばお手土産を持っていくんだ〜。
ベトナムは最近できたお手土産。
嬉しいね、嬉しいね、よかったね。
日々の中にもお手土産。
追記.
いつか年老いたら、痴呆老人になって、たまに想い出話するぐらいになりたい。もし年老いて長生きしたとした時の楽しみと言ったらそんな感じかなぁ。
夢とお土産を見続けてその中で自分すら消えていく。