ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる
読んだ本について。
『ど田舎うまれ、ポケモンGOをつくる』
世界中で大ヒットしたスマートフォンアプリ『ポケモンGO』のディレクター、野村達雄氏の手記。
この方の生まれは中国。インターネットの時代ではない、そもそもコンピューターもない、それどころか、住んでいた場所には信号機すらない、タイトル通り「ど田舎」だったそうで。
そんな中、幼少の頃に家族と日本に移り住み、その時に付けた日本名が「野村達雄」で、現在は正式に日本国籍を取得している。
書籍の中で、私が興味のある「大学卒業後にGoogleに就職」「Googleマップのエイプリルフール企画で『ドラクエマップ』を立ち上げた」「そこからポケモンGOのプロジェクトに繋がる」と言ったエピソードは全体の3分の1程度で、そこまでは自身が生まれる前の祖母の話から、幼少期・小学校・中学・高校・大学と、時代を追った話で占められる。
その中、時代はすでにプレイステーションが普及する90年代に、知り合いから譲り受けたファミコンで、初めて「ゲーム」というものに夢中になったこと、自分で作りたいとプログラミングを覚えていったことが書かれている。
また、学生時代に、アルバイトをしている自分に対して、ふと「時間がもったいない」と思ったそうな。その部分を引用すると、
「大切な自分の時間をたった1200円で切り売りして、もし社会人になってから、20歳の時の貴重な時間を1200円で買い戻そうとしてもできない」
と、バイトをやめてまた勉強に打ち込むなど、とにかく「勉強」と「作る」をを続けていた。でもそれは、苦労しているわけじゃない、これらを「楽しんで」いたことが、文面から読み取れる。
またプログラムだけでなく、ファミコンの「ハードを自作した」そうで、しかもポケモンGOの件で、当時の任天堂社長である故・岩田 聡氏に、自作ファミコンを見せて熱く語ったこともあるそうな。
その時のエピソードを引用すると、
『ポケモン GO』のことそっちのけで、自分の作ったファミコンのことについて、ひたすら岩田さんに説明しました。コメントし辛そうな岩田さんは「そうですか、そうですか」と相づちを打ってくれ、興奮した僕はかまわず話し続けました。
確かにコメントし辛いのは分かるがw、ここだけで野村氏の情熱と、その情熱を受けてくれる岩田氏の姿が目に浮かぶようだった。
そんな、とにかく楽しんで、学んで、作ってきたことが今の成功に繋がっている、という「情熱が生んだ結果」を見たように思う。