善なる心
最近、子育てに全力投球している中でふと感じたことを書いてみようと思います。
考えるきっかけは小競り合い
最近は、おもちゃや母親の抱っこをめぐって喧嘩らしいものが勃発するようになってきました。
これまでは、年上の姉の方が当然力が強く、悪知恵も働くので先回りしたり力で奪い取ったりして弟の方が泣き、母が姉を叱るということがワンセットで起こってきました。
しかし最近、少々そのバランスが崩れてきました。
弟君がだいぶ力をつけ始め、単純なおもちゃの取り合いでは姉に勝利するようになってきたのです。
変わる戦略
そこで姉は戦略を変えてきます。弟がこの後使いたくなる、また母親の抱っこを求める場面を、一足早く察知して、即動き始める。
弟君はまだ1歳になったばかりなので、よちよち歩くのがやっとです。
走ることもできる姉には到底及びません。
そうなると負けてばかりになる弟君は、さらに戦術を変更。
遅れて姉の腕に絡みつき、噛みつくという強硬手段に出ます。
私たち大人も時折噛まれることがありますが、あれは痛い…。
そこで弟君も説教することになるのですが、妻もその状況は理解しているので姉に対してすかさず「あなたの行動が、弟の噛むという行動を引き起こしているかもしれないよ?」と話しかけてくれていました。
たま~に、こういう連携ができることがあります。夫婦で子育ての軸というか、方向性を決めて共有しておくともっと良いのかなあ、と思う出来事でした。
子育て感の共有ができない…
私たちは教員です。少なくとも、大学生から子供の教育については考えたり実践したりし続けてきました。一応、倍率も10倍を超える教員採用試験を突破して現場に立っていたので、それなりには子供の成長や学びに関する勉強はしてきたつもりです。
それでも、いざ妻と子育てに関してこういう方向でやってみない?と伝えようにも具体的にああだこうだというものが出てきません。
私は中学校の教員であったので、幼児教育はわからないという点は差し引いても、何ということか…もっと早く話そうとする機会をもつべきだったと痛感しました。
孟子の性善説
ごめんなさい。読むのをやめないでください。
結局、こういうところに突き当たるのです。
そんな課題意識の中で書籍やラジオアプリなどに接していると、江戸時代の我が国で、子供の教育について大切にされてきた「四端(したん)の心」というものに出会いました。
もともとは古代中国の孟子とい人物の性善説に関するものです。
簡単に、どのようなものか紹介します。
四端之心(したんの心)とは
妻が姉を叱ったとき、私は「こういうのは良いなあ…」と思って聞いていました。噛みついた弟を叱るのは簡単だと思うのですが、その前に、弟がそういう手段に出ざるを得なかった背景を考えて諭すような言葉に、感じ入っていたものです。
でも、こういうのはなかなかこれ!と言葉にしにくいものです。
そこでこの「四端の心」に出会いました。
惻隠の心は仁の端(はじめ)である。
羞悪の心は義の端である。
辞譲の心は礼の端である。
是非の心は智の端である。
妻の言葉は③の辞譲の心を促すものでした。それを、私も良い!と思った。
今は響かなくとも、これらを土台にして日々子供たちに接していこうと思います。後々娘には「礼」となって彼女の心にあり続けてほしいなあ…。
堅苦しい内容になってしまってごめんなさい。
たまにはご容赦くださいませ。
それではみなさま、今日もよい一日をお過ごしください!
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