アニメになった児童文学から見えてくる世界<3>:児童虐待が虐待ではなかった時代
1975年より毎年テレビ地上波で放映され1990年代後半には視聴率低迷に苦しんでいた「世界名作劇場」は1997年の「家なき子レミ」を最終作として終了。
しかしながら10年間の空白期間を経て2007年には「世界名作劇場」は二十一世紀らしいデジタルアニメとして復活。
満を期して登場した二十一世紀の第一作目は、十九世紀フランス・ロマン派最高の詩人である大文豪ユーゴーの畢生の大作「レ・ミゼラブル=惨めな人々」(1862年)。でもアニメ版はジャン・ヴァルジャンが最大の愛を注ぐ少女コゼットを主人公に据えるという破天荒な物語でした (後半の主人公はやはりジャン・ヴァルジャンでした)。コゼットは最後には幸せを手に入れます。でも原作ではたくさんの登場人物は悲しい最期を迎えるのですから。
題名「悲惨な人々」が示しているように「レ・ミゼラブル」は告発の書です。
ならば何を告発しているのか?
産業革命下の子供たち
19世紀ヨーロッパという大変動時代。
産業革命が幕開けて始まった新しい動力と機械と公害の時代。
単純な機械労働にはたくさんの人間の手と足が必要でした。
だれの?
もちろん子供たちの。
今でいえば小学生や中学生、中には就学前の子供すらも。
高校生はもう大人。
たくさんのたくさんの働く子供たち。
ユーゴーの名作を読んで(原作でも漫画でもアニメでも)または映画にもなったミュージカル Les Miserables を見て聴いて、少女コゼットの境遇に涙しない方はいらっしゃらないでしょう。
でもシングルマザーであるファンティーヌの娘コゼットだけが特別に可哀想なわけじゃなかったのです。
何百人、何千人いや何万人というコゼットが19世紀には存在したのです。
基本的人権も労働最低賃金も規定されていない時代。
労働者は搾取されるばかり。大人ばかりでなく子供たちも。非力な子供たちも大事な労働力。
薄汚れて食べるものも着るものも碌にない。
住むところだって不衛生なんて言葉を使うことも憚られるような最低のところ。南京虫とドブネズミと虱の巣窟。
下水設備も充実していないのでトイレさえないし、最低の食事でもありつけるだけでありがたい。
親たちがどうかしたくても、彼らだって何も持ち合わせていないのだから。
教育の機会など当然のことながら与えられてはいなかった。
以下は作者ユーゴーが序として物語の冒頭に掲げた言葉
青空文庫から引用してきましたが古い訳文なので、もっとわかりやすく言い換えると:
ユーゴーの込めたメッセージには「レ・ミゼラブル」のような悲惨な物語が価値を持ってはならないという怒りが込められているのです。
この悲惨な世界の物語は現実のものであってはならないという想いが込められています。
何十万人という児童労働者
こちらは20世紀前半のアメリカ。100年たっても何も変わっていない。
過酷な長時間にわたる労働条件の中で、多くの子供たちが子供らしい時間を持つこともできずに、働かされて、そして多くの子供たちは過酷な時代の犠牲となって成人前に死んでゆきました。
ユーゴーはこのドラクロワの名作を見て「レ・ミゼラブル」の執筆を決めたとも伝えられています。小説は1862年に出版されています。
ユーゴーが心打たれたのは、胸をはだけた三色旗を掲げる勇敢な自由の女神にではなく、女性の側で両手に拳銃を持った十代の少年。
こんな年若い青年が革命運動に参加していたのです。
そして彼こそが原作ではバリケードの中で死んでゆくガヴローシュ少年のモデル (アニメ版では生き残るように改変されています)なのです。
ユーゴーの「レ・ミゼラブル」は、子供であるにもかかわらず、社会変革を夢見て戦った子供を描くために始まった物語だったのです。