拡張知能という言葉
言葉の不思議が大好きなので、Logophile というハンドルネームを使用しています。
言語学も基礎を学んで、本格的に英語の発音矯正を取り組みました。独学でたくさんの外国語にも親しんでいます。詩を書くことも好きなので、言葉にはひたすらこだわり続けています。
LOGO(Logos)はギリシア語の「言葉」。
PHILEはギリシア語の「愛している」。
英語圏では言葉好きな人は自分自身のことを、しばしば「Logophile」と英語では言い表したりするのです。
言葉の語源などにこだわる語学オタクとも翻訳できます。
造語なので一般的な英単語とは言い難いのですが、教養ある人はすぐに理解します。
さて、わたしが先ごろ問題にしている言葉は
です。
人工という意味のArtificialではなく
「Artificial Intelligence」を短くした言葉として、いまやこの言葉をメディアで聞いたり雑誌や新聞を読んで目にしない日はないほどです。
しかしながら、この世の中に実際のところ、人工的な知能など、世界のどこにも存在はしないのです。
20世紀の初めに内燃エンジンで動く自動車が人類の世界を一変させましたが、当たり前なことですが、運転手は自動車を運転しないといけないと動くことはありませんでした。
2023年の画像生成やテキスト生成のためのAIは、道具として人間が使いこなせなくてはいけないのです。AIは人間が的確な指示を与えて初めて使いこなせる機械なのですから。
人間の移動能力を自動車が飛躍的に向上させたように、現代のAI技術は人間の作画能力なり、文章校正、文章創造能力をアシストしてくれるための道具であり技術なのです。
AIと対になる概念として
という言葉もしばしば見かけるが多くなりました。
という意味です。
汎用性の汎とは「広く行き渡る」という意味ですが、幅広く使えるという意味から演繹させた「自律的」という意味を含んでいます。
つまり人間の支持を与えられなくとも動くことのできる知能。
つまり、20世紀の人間が夢見た、アンドロイドやロボットを動かすことができるであろう知性です。
鉄腕アトムとドラえもんの国である日本では、AGIは待ち望まれている新しいテクノロジーですが、世界中の全てでそうであるとは限らず、むしろAGI否定論の方が姦しいほど。
いや日本では外国のようにデモまでは起こりませんが、日本でもかなりの反対論も噴出しているようです。
ほとんどの人の対応は愛憎半ばといったところでしょうか。
手塚治虫リスペクトの浦沢秀樹が手塚原作の「世界最大のロボット」を下敷きにして描いた「プルートゥ」がついにアニメ化されましたが、このようなSF世界の実現も時間の問題なのかもしれません。
ロボットが泣き、笑い、人間のように苦悩する世界。
ロボットに人間の最も高い徳である良心、惻隠の情さえも備わっている。
AIはここまで機械を人間に近づけることができるのでしょうか?
22世紀の未来から20世紀の日本にやってきたという設定のドラえもんの秘密道具の数々は21世紀の今日、現実に実現されて実用化されているものさえあります。
20世紀のマンガのドラえもんの世界で斬新だったテレビ電話は我々の生活にはもはや当たり前なもので、まさに隔世の感を禁じえません。
拡張知能とは?
本当の人工知能とは、ある事態に直面したとき、自分自身で独自の判断を下すことのできる機能なのだと思います。
つまりAGIこそが本当の人工知能。
ただのAIを「人工知能」と呼ぶことには語弊があります。
AI音声もAI生成音楽もAI生成画像もAI義足義手もチャットボット(チャットGPTのようなチャットロボット)も全て、誰かが指示を与えて、初めて役立つものなのです。
それらはすべて
と呼ばれることが正しい。
Augmented Reality と同じaugmented。
文明の利器
移動手段として、ひとは馬を乗りこなすために乗馬を覚えて、車や飛行機や船の運転を覚えてきたことと同じように、使いこなすための技術が必要であり、使いこなせると、ひとはそれまでにできなかったことができるようになるのでした。
だからわれわれの能力を拡張してくれるプログラム化された知性という意味で、AIを拡張知性と呼称することがふさわしいのです。
絵を描いてくれる画像生成プログラムはたくさん存在していています。
いまは誰もが手に取ってみて試してみているけれども、素晴らしい画像を作り出すには、技術が必要。
そして画像生成サービスにも、写実を極めたMidJourneyのようなものや、コンセプトアートに優れたDELL-EやLeonald AI、またはStable Diffusionをオンラインで利用できるOpenArt.AIなど、いくらでもあるのだけれども、質の高い画像は高額なサービスを利用すれば初心者にでも容易に作り出しやす仕様になっています。
良い車に乗れば乗り心地がよいようなものでしょう。
わたしはStable Diffusionを使いこなしているのですが、Stable Diffusionは拡張機能を随時追加してプログラムをアップグレードしてやらないとうまく機能しません。
しかしながら、必要な拡張機能を備えたStable Diffusionの優秀な写実画像はMidJourneyの写実画像と比べても全く遜色のないものです。
オンラインサービスでは作り出せそうにない高画質な画像も作り出せます。動画も作成できます。自分の持っているコンピュータの性能にもよりますが。
Stable Diffusionは、絵の描けないし、芸術的写真の撮れないわたしの能力をまさに拡張してくれる現代最高の知性、ガジェットなのです。
技術の獲得とは能力の拡張。
古代世界の梃子の原理、車輪の発明、望遠鏡の王凸レンズや眼鏡動滑車の原理など、人類の文明を太古より発展させてきた技術はすべて、
拡張機能であり、
拡張能力なのです。
これからの時代、やはりいかにして我々が手にした「AI」と拡張能力を使いこなしてゆけるかが大事。
1979年の世界名作劇場のアニメを実写化すると
AIとは拡張知性
人工知能という言い方はAIの本質を誤解してしまいます。
人類はアップグレードしてゆく。
でもアップグレードには訓練を受けたり、古くて愛着のある技術を捨ててゆかないといけない。
いまわれわれは人類の文明の分岐点、曲がり角に立っている。
曲がり角と言えば、こういう言葉を思いだします。
And there was always the bend in the road!
モンゴメリの不朽の名作「赤毛のアン」の最後の章からの有名な言葉。
道にはいつだって曲がり道がある。
AIという時代を転換させる大いなる技術を使いこなすべき分岐路にたたずんでいる我々に必要なものは、心の在り方なのです。
曲がりくねった道の向こうには何があるのでしょうか。
何があろうとも、アンのように良いことが待っていると信じていることが大切。
わたしは何度もアンの言葉に何度も励まされたものでした。
無限の可能性がある拡張知性をいかに使いこなすかは貴方次第なのです。