ポロポロと鳴るオルゴールのようなピアノ:デュポールの主題による変奏曲K.593

ウィーンについて書かれた記事を読んだので、久しぶりにデュポール変奏曲弾いてみました。ケッヘル番号K.593からわかるように、モーツァルト晩年の作品。モーツァルトが天に召されるのはこの曲からわずか二年後のこと。

モーツァルトにはフォルテピアノのための数多くの変奏曲がありますが、最後に書かれたデュポール変奏曲は最高傑作。1789年のベルリン旅行は借金ずくめだったモーツァルトの晩年の大旅行の一つですが、プロシア宮廷のジャン・ピエール・デュポールを通じて王への会見を望むもデュポールは全く取り合わなかったのでした。就職活動は大失敗。

けれどもベルリン旅行には数多くの収穫があり、プロシア王弦楽四重奏曲など、数々の不滅の名曲が生まれるきっかけになりました。バッハ所縁のライプツィヒの聖トマス教会に立ち寄り、オルガンを弾き、まだ生きていたバッハの直弟子たちを「老バッハが蘇った」と涙を流させるほどに感動させています。

デュポール変奏曲にはモーツァルトの変奏曲の全てが詰まっています。九つの変奏曲はどれも全く別の個性的な音楽スタイルで書かれていて、モーツァルトのピアノ音楽の全てをほんの十分ほどで楽しめてしまいます。

リズム感の小気味よさが際立っていて、ピアノはつくづく打楽器だなとピアノを叩く(鍵盤を押す)魅力に惚れ直してしまいます。ピアノのバッハを偏愛しすぎているためか、わたしはペダルをあまり使わないピアノ曲の方が好きなのです。フルペダルでこの曲を弾いたら美しくないですよ。

特に後半。第六変奏は短調。これまでの明るいニ長調と対照的なニ短調の単純な三和音の美しさが心に染み入るようです。モーツァルトの短調の魅力を思い切り堪能させてくれます。聴くよりも自分で弾いてみると感動はなおひとしおです。

第七変奏は長調に戻って16分音符が踊ります。バロック式段階的強弱法でピアノとフォルテの対比をしっかりとさせるとほんとに美しい。

次の第八変奏はクライマックスのアダージョ。ここまで打楽器的だったピアノが思い切りカンタービレで歌い、深い情感に心打たれます。長調だけれども美しすぎて哀しい。最後の第九変奏はリズムの躍動が戻ってきて、おもちゃ箱をひっくり返したような愉しい音楽。

でもここで終わらないでコーダが寂しげに始まってまた細かい音符が怒涛の三度で踊り出すと減7のメロディが美しい両手交差になって最後まで聴き手と弾き手を楽しませてくれます。でもまだ終わらないで、ダカーポして一番最初の主題が返ってくるのです。

まるでモーツァルト版「ゴルトベルク変奏曲」。9つだけではなくて30曲続けてくれたら、ベートーヴェンの「ディアベリ変奏曲」にも匹敵する名作になったのだろうに。でもモーツァルトにとってピアノ曲なんて彼が心血を注いで作るようなジャンルではなかったので仕方がない。

モーツァルトにとってオペラ以外はどんな曲もどうでもいいようなものだったから。この曲も非常に即興的で、きっと書くのに数時間もかかっていない。けれどもパブロ・ピカソが5分で描いたスケッチが何億円の価値を持つように、モーツァルトの即興で作曲された変奏曲には、これまでに蓄積されてきたモーツァルトの芸術的創作の全てが詰まっている。

Ditoさんがウィーンに行かれた記事を読んで、聖シュテファン大聖堂の素晴らしい写真に自分も行ってみてみたいなと溜息をついたけれども、自分はこうしてピアノが弾けて、ウィーンに行かなくてもモーツァルトに直接会えるのだと思うと全然羨ましくなくなりました(笑)。

音楽を演奏できることは、モーツァルトが結婚式を挙げた聖シュテファン大聖堂を実際に訪れるのと同じくらいに素晴らしい。コンサートに行って受動的に音楽を聴かされるのではなく、自分自身でモーツァルトの音を奏でられることは自分にはコンサートに行くことよりも大事な人生体験です。

楽器を弾ける生活ってすばらしいですよ。楽器がなければ歌ってください。
歌うことはあなた自身の肉体を楽器にしているということなのですから。Have a great day!

いいなと思ったら応援しよう!

Logophile
サポートは新たなリサーチの研究費用として使わせていただきます。またあなたに喜んでいただけるような愉しい記事を書くために😉