神童マーラー学生時代(16歳)のピアノ四重奏曲イ短調

フレデリック・ショパン死後に出版された「葬送行進曲」(作品72)が作曲されたのは、1827年の妹エミリアの死の頃らしいが、妹の死がきっかけで書かれたかどうかの確証はない。ショパンは家族と一緒だったので手紙がない。友人たちにも何も書いていない。それほどにショックだったのだろう。

そもそも生涯病弱だったショパンは子どものころから病弱だった。成人しても170センチの背丈なのに45キロほどの体重しかなかったという。演奏会を開いても、大きな手に恵まれた身長185センチの健康児リストの剛腕に遠く及ばなかったのは当然だ。ピアノソナタ「葬送」を書いたのも、いつ死んでもおかしくないショパンには死があまりにも親しい存在だったから。

音楽史で同じように死の想念に憑りつかれていた人物にはグスタフ・マーラーとドミトリー・ショスタコーヴィチがいる。

マーラーの場合はショパンほどには病弱ではなかったけれども、14人の兄妹のうちの半分以上が子供時代に亡くなっている。死は子どもの頃のマーラーにとって日常だった。ショパン以上に死はマーラーに親しいものだった。

わたしは健康に恵まれていて、きわめて健康的な家系に生まれたために、ショパンやマーラーの人生に感情移入することは難しい。これまで大きな病気や怪我を半世紀も生きて一度も経験したことがない。まだ家族の誰も死んでいない。

ショパンに親しみを感じない理由はこのあたりに原因があるのだとようやく思い至った。健康的な長い生涯を送ったハイドンやバッハが大好きなのも、自分と似通っているからだろうか。ハイドンやバッハだけ聴いていると百歳までも生きてゆけそうだ。そういう健全な精神の音楽なのだから。毎日が楽しい音楽。

でもハイドンやバッハとは対極のマーラーには共感している。死への思いが青年の夢想のように観念的で、ショパンの音楽に色濃く反映されている死のリアルさは希薄だからだ。わたしの学生時代のアイドルはマーラーだった。

1911年に死んだマーラーがウィーン音楽院で学んでいた頃の作品が世に出たのは1960年、奥さんだったアルマが発見した。それ以来、室内楽リサイタルの人気曲で、よく演奏されるためにこの曲を実演で三度も聴いたことがある。

人気の理由は、暗い死の影を音楽でリアルに表現する手法をまだ持ち得ていない16歳の音楽だからで(演奏も難解ではない)チャイコフスキーに通じる甘さもある(同じイ短調の作品50に似ている)。

まだ若く希望にあふれていて健康だった頃のマーラーの音楽は、何度聴いても良いなと思わせる、純粋に美しいファンタジーなのだ。

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