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家族のために:フリードリヒ・グルダ

ジャズとクラシックのクロスオーヴァーでも知られた名クラシック音楽ピア二ストのフリードリヒ・グルダの奥さんが日本人であることを、Noteのある方から教えていただきました。

Noteは素晴らしい学びの場で、特に人生の先達たちの言葉は何物にも代えがたいほどに貴重なものです。またわたしよりも若い方でも、自分の知らない世界への扉を開いてくださることもしばしば。

さて、2000年に70歳で亡くなられたグルダですが、グルダは世界で唯一無二の偉大な演奏家でした。

以下はどのような意味で唯一無二なアーティストであったかを語りたいと思います。

わたしはグルダの遺した録音が大好きで、CDも十数枚も集めているほどだったのに、日本人の方と結婚されているなど、グルダ本人のことを全く理解していなかった自身の不明を恥じました。

演奏家の個人的な家庭事情など、鑑賞者のわれわれにはどうでもいいことなのかもしれませんが、グルダの場合はとても意味深いのです。

そのわけはグルダが家族のために書いた音楽のためです。

フリードリヒ・グルダというピアニスト

グルダはウィーン古典派音楽への説得力のある独特な解釈に定評がありますが、わたしがグルダが好きな理由は、誰よりも音楽のリズム要素を強調する演奏方法にあります。

グルダはかのマルタ・アルゲリッチを一時期指導していたこともあるという教育者でもありました。

演奏家としてのグルダは拍節感という西洋音楽の基本の基本に忠実な演奏家でした。

デフォルメと呼んでも言い過ぎではないほどに徹底的にリズムを極めた演奏スタイルは、古典音楽の枠組みを飛び出しているという印象さえも受けるほどに。

それだけにグルダ自身がクラシックピアニストとしての名声を確立したのちに、突然ジャズピアニストに転じて、本場アメリカのジャズ・ミュージシャンたちとの共演なども行いました。

グルダのジャズ演奏の凄さをベートーヴェンの最後のピアノソナタと絡めて、以前こちらで紹介いたしました。

作曲家グルダの作風を一言で言い表すと、やはり

「クラシック・ジャズ・クロスオーヴァー」

そのようなグルダらしさは、やはり彼が作曲した珠玉の小品の中に端的に表明されているのです。

プレイ・ピアノ・プレイ

「Play Piano Play」と英語で題された十の小品は、グルダのリズムへの偏愛が見事に結晶したような佳品です。

バロック音楽の形式のジャズ的な音楽。

楽譜には二人目の妻だった日本人ジャズピアニストのYukoさんのための練習曲と書かれています。家族のための私的な音楽なのですが、このプライヴェートさがグルダの魅力でもあるのです。

特に第6番「トッカータ」は名曲として知られていて、数多くのピアニストによって演奏・録音されています。

第6番「トッカータ」

第5番

第4番

第2番

第1番

第7番

第7番は少しこれまでの曲とは異なり、遅いテンポによるバラードです。

アリア

グルダには「アリア」と題された美しいピアノ曲があります。

クラシックの形式美とジャズのイディオムが見事に融合されて、グルダ独特の抒情が加味された名作「アリア」は、時々どうしても聴きたくなる音楽です。

この曲が家族のための曲なのかはよくは分からないのですが、そうであってもおかしくない素敵な音楽です。

きっと誰かのために書かれた音楽です。

1994年における来日時における、作曲者ご本人によるライヴ録画。

グルダのピアノ奏法は、鍵盤の底までしっかりと打ち抜いても、ロシアンピアニズム奏法のように金属的な音がしないドイツ式ピアノ奏法。

いわゆる古い演奏方法。

でも昭和日本を支配していたハイフォンガー奏法というわけではなく、ベートーヴェン直系の正統的なウィーン流ピアノ奏法。

ロシア式とはピアノへの体重の乗せ方が異なるのです。

こんなだからピアノ奏法だからこそ、絶妙な指先から生み出される弱音の美しさは言葉にならないほどに美しい。

グランドピアノを押しつぶすようなロシア式ピアノ奏法がもてはやされる昨今ですが、自身の全体重をピアノの押し付けるピアノ奏法がピアノ演奏の全てではないのです。

ペダリングもロシア式とはだいぶ異なります。

リコのために

次の曲は、当時8歳だった愛息リコさんのために書かれた

「For Rico」

とてもリズミカルなバロック的ダンス音楽。

バロック舞曲のガヴォットとブーレを組み合わせて書かれているのだとか。

バロック音楽への傾倒がグルダの創作の源泉なのですね。

クラヴィコードによる演奏。アップビート感が気持ちいい。

ピアノ盤もありますが、Note上では聴くことが出来なくて、YouTubeサイトに行かないと鑑賞できませんが、クラヴィコードの音がお好きでない場合はこちらのリンクから

グルダの美しいピアノを堪能することができます。

子どものころからピアノが大好きだったリコ・グルダさんは演奏家とはならずに長じて音楽教育者となり、現在はオーストリア・ウィーンのモーツァルテウム大学で教鞭をとられています。

パウルのために

グルダには、最初の奥さんとの間に、もう一人の息子パウルさんがいるのですが、彼のためにも美しいピアノ曲が書かれています。

リコさんのための音楽とは全く違う、美しい叙情詩のような音楽。

パウルさんもやはり音楽家の道を歩まれていて、演奏活動と教育の分野で活躍しています。

「ピアノのバッハ」G線上のアリア

「ピアノのバッハ」を語った投稿でも以前、紹介しましたが、グルダのバッハは本当に素晴らしい。

誰よりもリズムを際立たせる演奏に秀でているグルダですからね。

相性は完璧です。

「平均律クラヴィア曲集」の演奏は本当に美しいのだけれども、この曲集はいわゆる、専門家のための難しい真面目な音楽なので、わたしもいつも聞くわけではありません。

エンタメ要素に乏しいのです。

超名作なのですが、一般向けしない音楽だなあと演奏するたびに思うのです。いくつかの作品は自分にとってかけがえのない大切な音楽なのですが。

グルダの弾いたバッハでわたしが特に好きなのは、グルダがピアノのために弾いた「G線上のアリア」。

わたしもこの曲のピアノ編曲版をよくピアノで弾きます(IMSLPでいろんな編曲をダウンロードできます)。

グルダの演奏は、いつまでもわたしにとっての模範演奏。

何度聴いても聴くごとに新しい発見のある稀有な美しさを味わうことのできる演奏です。

グルダはこの曲を誰のために弾いたのでしょうか。

誰かのために奏でる音楽は、自分だけのために奏でる音楽とは全く別の音楽になることは不思議なことでしょうか。

そうではありませんよね。

音楽ってわれわれの日々の当たり前の営みなのだから。

料理したって「美味しくなあれ」と呪文を唱えて作ると何も言わないよりも美味しくなるし(笑)、誰かのことを想いながら作った料理は愛情の調味料のために絶対に美味しいのです。

私は音楽だって同じだと思っています。

小さな子供たちのための音楽、または20歳も年下の若い可愛い奥さんのための音楽、本当に素晴らしいものだと思うのです。

音楽は誰かのために演奏されるために存在しているのです。

わたしのためにも、あなたのためにも。


「Play Piano Play」を全十曲続けてBGMのように聞いてみたい方には、こちらの動画がいいです。楽しんでください。


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