アニメになった児童文学から見えてくる世界<13>:英詩の世界
1975年から2009年まで、途中で10年の中断をはさみながらも、三十年以上続いた、アニメ世界名作劇場の最後の作品「こんにちはアン Before Green Gables」の視聴を始めました。
現在は2022年6月なので、2009年の「こんにちはアン」は13年前のアニメ作品です。最新のデジタルアニメで作られていて、アニメ美術的に美しい画像に惚れ惚れしてしまいます。
古い1980年代の世界名作劇場作品ばかりを見ていた目には、麗しい映像ばかり。
世界的な名著である、カナダのモンゴメリ女史作「赤毛のアン」 Anne of Green Gables の大ファンだった、やはりカナダの女流作家バッジ・ウィルソンが、マシューとマリラ兄妹にもらわれる11歳以前の以前のアンの物語をアニメ化した作品です。
「赤毛のアン」は、自尊心が低く、友達のいなかった寂しい孤児のアン・シャーリーが、グリーンゲーブルスにおいて成長してゆく物語。
そんな「不幸だった」幼少時代がどれほどの物語になるのか、半信半疑でしたが、アニメを見ながら、なかなか面白くて引き込まれてしまいました。
二年前に放映された、「少女コゼット・レミゼラブル」のコゼットの幼少時代にも似ていなくもないですが、ああいう貧しい暮らしの中でも、アンは小さな幸せを日々見つけて生きていたのだなと、毎回勇気づけられるエピソードが盛りだくさん。
コゼットのように殴られたり突き飛ばされたりはしませんが、こんな子供に朝から晩まで家事をさせることは現代では児童虐待です。でも19世紀の経済的に恵まれない子供たちには当たり前のことでした。
前年の暗くて辛い「ポルフィの長い旅」よりも、幼いアンの物語を子供はずっと楽しめるでしょうし、大人は小さなアンの頑張る姿に勇気づけられます。
まだ全て見終えてはいませんが、第四話に、後の文学少女アンを彷彿とさせる、英国ヴィクトリア時代の大詩人ロバートブラウニングの詩集との出会いが描かれていましたので、英詩のことを少しばかり書いてみます。
英詩人ロバート・ブラウニング (1812-1889)
「赤毛のアン」は女の子の読む本だと思われる方も多くいらっしゃるかもしれませんが、英語原文で読むと、本当に素晴らしい読み物です。
美しい英語の文章を書く作者モンゴメリの力量は確かなもので、聖書や個人的に愛読していたロバート・ブラウニングからの引用がいろんなところに溢れています。
わたしは学生時代に英語聖書を英語学習の教材に使用したほど、聖書を読み込んだ人間ですので、時々聖書からの引用らしいフレーズに出会うと嬉しくなります。でも聖書は解説が大変ですので、今回は詩人ブラウニングのみを語りましょう。
アニメの「赤毛のアン」の最後の回は、原作同様に、ブラウニングの詩において締めくくられます。
アニメ版は徹底的に原作に忠実な物語で、原作そのものであるがために、原作改悪と呼んでも差し支えのない、ヨハンナ・シュピリ原作のアニメ「ハイジ」などとは違い、英語世界に輸出されたアニメは国際的に高い評価を得ました。
モンゴメリのアンの原作は、上田敏が詩集「海潮音」に翻訳したことで知られる、次の詩で締めくくられるのです。文語体ですが、詩の伝えるテーマは神の造った世界は調和に満ちていて素晴らしいということです。
オリジナルの英詩はこちらです。
単純な詩で、目で読むには物足りないのですが、英語という言語の美しさは、音読されて初めて理解されるものです。音読されると、この詩の真価が理解できます。
英語は日本語と違って、強弱アクセントの言語で、音節のつながりが言葉の美しさを作り出すのです。
ビート音楽のような英語のリズム
英語というのは、それぞれの単語の中にストレスがあるばかりではなく、文章の中にもストレスがあります。英語の文章というのは、ストレスのつく個別の英単語 Content Words と、ストレスのない文章構成語 Structure Words の二種類の言葉の組み合わせでできています。
英文はContent Wordsだけを聞くと、文章の大意は理解できてしまいます。この部分にビートが落ちるのです。ここを音読するときには強調します。
のContent Wordsは
という具合に、’sや at や the は、文法的文章を組み立てるに重要ですが、太字の部分だけで、この文章を理解できます。これが英詩のリズム。
英語で速読する人はこういう Content Words を即座に読み解く技術を身に着けているのです。
英語とはビート音楽のようなものなのです。アクセントのない音楽は面白くない。英語は激しいビートを強調してこそ英語らしくなるのです。
フランス語は日本語同様に、ストレスではなく、音の長さによって文章のリズムを作ります。ですので、フランス音楽というのは、アクセントのあるドイツ音楽とはだいぶん違ったものになります。
フランス近代音楽のクロード・ドビュッシーは、ドイツのヴァーグナーとは全く違う音楽を生み出すために、フランス語的な音楽を創作したのでした。ドビュッシーが大好きな人とそうでない人が世界中にいるのはそのためです。音楽的原理が違うのですから。
フランス語のシャンソンにはアクセントがほとんどないですよね。
英詩を理解するのに、さらにはMeterという音律を理解すると、英詩をますます美しいと思えるようになります。
詩の世界は、一年の春の頃、と最初に言い立てて、そこからどんどん具体的な神の創造した世界が短い言葉の中で語られてゆきます。
春→朝→7時
丘→ひばり→カタツムリ
造物主の創り出した世界
こんなふうに情景は流れてゆき、詩は神の創造した世界の偉大さを称えるのです。
ブラウニングの詩には長いものもありますが (この詩は少女ピッパの歌う長い劇詩の一部です) この雲雀の詩のように、覚えやすい短いフレーズがよく知られていて、英語の国の小学生は学校で習い、暗記したりしています。日本の子供が百人一首を暗誦したり、三好達治や宮沢賢治の詩を読んだりするようなものでしょうか。
Who hears music, feels his solitude, peopled at once
ブラウニングの詩で、わたしが特に大好きなのは、音楽の素晴らしさを語った次の言葉。
短い詩句の中に無限の意味を込めるのが詩人の仕事。短い詩行に込められた深いニュアンス。これが詩のエッセンス。
我が国の詩人たちが、三十一字の「やまとうた」や、17字の俳句という限られた詩句の世界に深い意味を注ぎ込んだように、英語の詩においても、ブラウニングのような詩人は限られた最少の数の言葉の中に深い想いを詠み込んだのです。
こんな詩は幼いアンにはまだ理解できないけれども、長い長いアンの物語の「始まり」の物語「こんにちはアン」は全ての方におススメです。
は「こんにちはアン」にふさわしい言葉です。
スクショしたので、わたしはこの詩が引用されたことを知ることができましたが、そうでなければ一秒で流れてしまう場面。こんな部分さえも丁寧に描写されているのです。
21世紀版の世界名作劇場、たくさんの方に見ていただきたいです。