憤りの奥にある 機会
昨年末から もやもやが残っている
心地よいはずはない
早くなんとかしたい 気持ちもある
けれど もやもやしているのは
それなりの意味があるはずだ
僕は その意味が 降りてくるのを待った
*
待つと言っても
抱えている もやもやが消えるわけではない
頭の片隅にずっと 残ったままだった
なぜ もやもやしているのだろう
何に もやもやしているのだろう
何日か経ったのち 少し姿が見えてきた
それは 怒りと期待の混じった
憤りのような感情だった
*
こうであったらいいのに
その願いが 満たされず
違う結果が 生み出されている時
僕は 憤りを感じる
これは僕に 何を届けているのか
思い出したのは 昨年の気づきだ
*
そうだった
この憤りのような 気持ちは
シグナルなのだ
もやもやを感じている 事柄には
何か自己制限的に捉えている 要素がある
「してはいけない」
無意識のうちに 自分が作った檻に
苛立ちを感じている ということだ
これは もやもやではない
チャンスなのだ
自分から 枠を取っ払うチャンスなんだ
*
この憤りを
活かすにはどうしたらいいのか
怒りや 悲しみという形で
表現してはダメだ
届けたいものは
伝えたいものは
それではない
憤りを そのまま外に出すのではなく
願いという形に変換し 表現する
それこそが
今年取り組むべき
課題なのだ
この気づきを 問いに残し
自らを ふりかえる
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