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プロフェッショナルということ

0.Wikipedia

プロフェッショナル (英:Professional)、略して「プロ」は、本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることを言い、「公言する、標榜する」が語源である。対義語はアマチュア (英:Amateur)。類義語にエキスパート (熟練していること 英:Expert、対義語は 英:Inexpert )、スペシャリスト(特化していること 英:Specialist、対義語は 英:Generalist )がある。

しかし、日本語としての「プロ」という言葉には、派生として以下の意味が含まれる。

「認定プロ」のこと。統括する団体が認定した人。プロゴルファーやプロボクサーなど。多くの団体では賞金支給の対象になる。
専門家のこと。ある分野について、専門的知識・技術を有しているひと。
そのことに対して厳しい姿勢で臨み、かつ、第三者がそれを認める行為を実行している人。
複数のグレードがある場合、高機能、高耐久性として上位バージョンや装飾を廃した下位バージョンとしてつけられる。
(Wikipediaより引用)

0-1.プロフェッショナルの仕事の流儀(NHK)

「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、さまざまな分野の第一線で活躍中の一流のプロの「仕事」を徹底的に、掘り下げる新しいドキュメンタリー番組です。

番組に登場するのは、誰もが認める、その道のプロ。斬新な試みに挑戦し、新しい時代を切り開こうと格闘中の挑戦者であり、数々の修羅場をくぐり、自分の仕事と生き方に確固とした「流儀」を持っている仕事人たちです。
時代の最前線にいる彼らはどのように発想し、斬新な仕事を切り開いているのか。これまでどんな試行錯誤を経て、成功をつかんだのか。そして、混とんとした今の時代をどのように見つめ、次に進んでいこうとしているのか。普段はカメラの入れない仕事の現場に徹底密着。現在進行形で時代と格闘しているプロの「仕事」に迫ります。
「プロフェッショナル」は、今と未来を描くドキュメンタリー。現在進行形だからこそ、現場発の「仕事に役立つ情報」と、視聴者のみなさんが「自分も頑張ろう」と思えるような「明日への元気」をお届けします。
し烈な競争や成果主義、ニートの急増など、日本人の仕事をめぐる状況が大きく変わりつつある今だからこそ、プロフェッショナルな人々の姿を通して、仕事の奥深さ、働くことのだいご味を伝えたいと思います。
(※NHKホームページより引用)


0-2.波頭亮「プロフェッショナル原論」

「プロフェッショナル」とは、高度な知識と技術によってクライアントの依頼を適えるインディペンデントな職業だ。業態はさまざまであっても、求められるのはたゆまぬ研鑽によって培われる技量であり、最高の結果を追求するこだわりである。ますます複雑化・高度化するビジネス分野において、その仕事はさらに重要性を増している。今こそプロフェッショナルのあるべき姿のとらえなおしが必要だ。
(Amazonより引用)

1.私の見解;職人

私の興味は「職人」「天才」と「プロフェッショナル」の差異にあります。
本当の一流と私が脱帽する人達の共通点が、それを指し示すと私は思っている訳です。
人間の感覚では、全く認知が不可能なレベルの、研磨作業等、神業の技術を見せる人達、彼ら、彼女らは、神に限りなく近い存在ですが
プロフェッショナルと呼ぶのには少し抵抗が有ります。
その行うべき作業に徹底的に拘り、普通の人が気がつかない処に隠し細工を施す。人間国宝であり神様であってもやはり「職人」という言葉がぴったりの人々です。

2.私の見解;プロフェッショナルな人

プロフェッショナルな人とは、作業や物や作品に立ち向かっているようで、彼ら、彼女らの先に待ち受け壁となるのが「人間」なのです。

彼らは神業のような研磨よりも、研磨されたものを使う人間の想いや感情を創造的に感じ、どのような研磨が感動を呼ぶ研磨なのか、そこに興味の中心が置かれます。その為に必要な技術を磨きます。従って見えない隠し細工など興味は有りません。

3.イチローは職人であってプロフェッションを感じない

血のにじむような努力をする、スーパーアスリート達の多くは「他人にあまり興味を示しません」。興味の中心は努力と、目指すべき高みと、それができるはずの自分のベストのパフォーマンスをする事です。
イチロー氏のスーパービームには観客の視線をあまり感じません。王氏の現役時代も同様です。これは、職人の世界観と感じます

しかし、長島茂雄氏の現役時代のプレーはプロフェッショナルと感じます。本能的な「美しく捕る事」「美しく投げる事」「美しい打撃」。要するに観客の視線がどこかに宿っているのです。
それはパフォーマンスとは次元が違います。(天才でありながら、職人でありながらパフォーマーを目指した清原氏の苦悩を想います。)


パフォーマーは相手にどう思われるかが目的ですが、プロフェッショナルは違います。目的の達成の為に何が必要かを徹底的に考え抜き、問い詰めた先に人間への対応が重要だと意識的であれ、無意識的であれその気付きを宿す過程を経て、それを行動する人のことです。

判りにくいでしょうか。長島茂雄氏の「美しく捕る事」「美しく投げる事」「美しい打撃」。それはパフォーマンスではなく、直接的な判りやすいスーパープレーでもなく、「どうすれば勝負に勝てるか、その為に自分が出来る1番の事は何か」を徹底的に追求した先に、「美しく捕る事」「美しく投げる事」「美しい打撃」によって、場にもたらされる空気や雰囲気、「逆転できるぞ」という感じや「これで勝てる、負けるはずがない」という雰囲気を作り出す、場を支配する華やかさが重要であると感じるが故の行動なのです。

もちろん、本人はそこに無自覚かも知れません。プロファッショナルであり天才でもある特殊な方なので。しかし、あきららに求道的な努力とは一線を画していると私は思う訳です。

4.日本中のプロたちへ

目的達成の為に、人間の心理を研究し、相手を知り抜き、研究し、その為に最大限の効果を発揮する為の必要な技量に想いを馳せながら、努力する人達。これらを私は、真の意味でプロフェッショナルと呼びたいと思います。
プロフェス(宣言する、告白する)のは、神に対して、公益に資する事をもって誓う行為です。
決して相手の人間を倒し、怖し、潰す事を通して目的を達成するプロフェッショナルだけにはなってもらいたくないものです。
公益に資する為、人間を喜ばせ、楽しませ、感動させ、力と勇気を与える事で、目的の達成を図るプロフェッショナル。

そうあって欲しいと思うのです。

明治維新のように、出でよ
若き、社会を変える、プロフェッショナル達よ





少しトラブルがあって、旧アカウント消して新たに再出発。以前のアカウントフォローされていた方🙇。今度はゆっくりやります。