見出し画像

ドーピングって誰の責任?【アスリートとフェアは実は相性が悪い】

ドーピングとスポーツは昔から切っては切り離せない問題になってくる。

調べてみると古くは紀元前までさかのぼり古代ギリシアのオリンピック競技者の中でも興奮剤を使っていたという記録もあった

これには少し驚いた

つい最近まではもっと今より横行していたような気がする

メジャーリーガーの中ではごく当たり前だったし自転車競技や陸上競技その他多くのスポーツで横行していた

今でもロシアが国ぐるみでドーピングを行っていたと摘発され大問題になっている。

何故ドーピングがなくならないのかはいたって単純な理由で

「勝てる」からであろう。

勝ちに執着するのはアスリートとして当たり前のこと

むしろ必須条件だと僕は思う。

ではなぜドーピングはこれほどまでに悪とされるのか

スポーツの存在意義にどういった影響を及ぼしているのか

それを考えるうえでそもそものドーピングの定義をきっちりと確かめることが必要になってくる

画像1

「JADA(日本アンチドーピング機構)」におけるドーピングの定義

『ドーピングとは「スポーツにおいて禁止されている物質や方法によって競技能力を高め、意図的に自分だけが優位に立ち、勝利を得ようとする行為」のことです。』

とされている。要するにずるはやめましょうということである。

また、アンチドーピングの必要性についても説いていた

『ドーピングが蔓延すると、フェアなスポーツは成立しなくなります。そして、スポーツの土台を支える「フェア」が無くなってしまうと、その上に築かれている、スポーツが持つ多様な価値は壊れてしまいます。それは、スポーツの社会的な信用を失墜させることにもつながります。さらに、ドーピングは健康上の被害を引き起こす可能性がある危険な行為でもあるのです。』

至極もっともだし反論する余地もない

画像2

そもそもスポーツの存在意義とは何なのか

スポーツには「フェア」という概念がある。

スポーツマンシップはその代表的な例であろう。

チームというものを大切にしたり相手を思いやる気持ちや挑戦する心構えなどを通じてスポーツの「フェア」の精神というのは育まれる。

それもスポーツの存在意義の一種であろう。

スポーツというのは身体の健康を育んだり人とのコミュニケーションを取っていったり人格的成長を促す意味として大きな役割を果たす

そういった健康的な生活を営んだりするためのツール。

そして社会的価値の高さ

これが大義のスポーツの存在意義になってくると思う

それを考えると身を削って自分の能力を引き出そうとする「ドーピング」は絶対に根絶しなければいけないものである。

ただ、僕が思うに「アスリート」と「フェア」はすこぶる相性が悪い。

そう考える理由はアスリートの定義にある。

アスリートの存在意義と定義とは何か

画像3

アスリートとは「賞を狙い競う人」

アスリートの意味はいたって単純で「運動選手」である。

そして語源をさかのぼると「賞を狙って競う人」となる。

ドーピングというのは主にアスリートが引き起こす問題である。

草野球でドーピングなんて聞いたこともないしする人もいないよね

それはスポーツの性質が健康を育み仲間とのコミュニケーションツールで留まっているからであろう

ただ「賞を狙って競う」となるとスポーツの性質は変わってしまう。

性質が変わることによって当たり前に守れるはずだった「フェア」が何とかして守ろうとする「フェア」に変わってしまう

健康を育む存在であるスポーツが身を削るものになる。

ドーピングは確かに身を削るもので公平さを失いかねないものにもなる。

ただ、アスリートスポーツにおいて「身を削る」「不公平」というものは許容されるべきものになっているという現実がある

身を削るアスリートの例

・ボクシングなど階級制スポーツの過度な減量

・ロキソニンやボルタレンなどの痛み止めを常用してまで競技に打ち込む

・常に競争にさらされるという過酷な環境によるストレス

・肉体労働をはるかに超える身体的な負荷

・力士の食生活による身体的負担

力士の約半数は基礎的疾患を持っていると言われる

など様々思い浮かぶ

アスリートの不公平

・国によっての予算の違い

例えばアメリカはスポーツ関連予算のGDPは15兆ドルを超える

・施設の充実度

・選手やコーチの金銭的待遇

・気候的問題

・身体的な能力や体格の違い

こう見るとアスリートは常に身を削りまた不公平と戦い続けていることが分かる

そういったハンデを乗り越え打ち勝つ姿を見て僕たちは心を打つのであろう

日本のスポーツ基本法にはこんなことが書かれている

『スポーツ選手の不断の努力は,人間の可能性の極限を追求する有意義な営みであり,こうした努力に基づく国際競技大会における日本人選手の活躍は,国民に誇りと喜び,夢と感動を与え,国民のスポーツへの関心を高めるものである。これらを通じて,スポーツは,我が国社会に活力を生み出し,国民経済の発展に広く寄与するものである。また,スポーツの国際的な交流や貢献が,国際相互理解を促進し,国際平和に大きく貢献するなど,スポーツは,我が国の国際的地位の向上にも極めて重要な役割を果たすものである。』
引用元 「スポーツ基本法(平成23年法律第78号)(条文)」

他にもいいことが沢山書いてあるので是非これは読んでほしい

つまりは、競技スポーツとは日々限界に挑戦し努力を重ね結果を残すことは多くの人々に感動や希望を与えそれが日本社会の活気に繋がり国の発展にも大きな影響を及ぼす

アスリートの社会的価値の高さがここでもわかると思う

画像4

アスリートの社会的価値の高さから見えるもの

アスリートは社会的価値が高い

これの大前提としてあるものが

社会的価値は結果を残さないと得られない

これが基本になってくると思う

結果を残すためにアスリートたちは日々「不公平」と戦い続け日々身を削っている

本当に素晴らしいものであると思う

ただこれを見ると「何故ドーピングはだめなの?」となるアスリートが出てくるのは当たり前のように見える

結果を出すまではアスリートにおけるリスペクトや社会的価値の高さは建前でしかない

画像5

アスリートが抱えるジレンマ

結果を出すまではアスリートにおけるリスペクトや社会的価値の高さは建前でしかない

そのジレンマとアスリートは戦わなくてはならない

日々身を削り「不公平」と戦う

そんな中でこう考えてしまうアスリートも少なくはないはずだ

身体を確実に蝕んでいくはずの痛み止めはよくて何故ドーピングはだめなのか

国によって全く待遇も環境も違うしそこで不公平を生むし人種間での運動能力も違うはずなのに何故ドーピングは不公平を生むからだめなのか。

そう考え始めてからただ単に不公平や健康を害するからダメだと僕は頭ごなしに言えなくなった

シーズン73本塁打という前人未到の大記録を打ち立てたメジャーリーガー「バリー・ボンズ」

この記録はドーピングによるものである

そんな中彼がドーピングに手を染めた経緯は実に悲しいものとされている

ボンズが薬物に手をだすきっかけとなったのは、1998年のマグワイアとソーサの本塁打量産対決であるというのが通説である。1998年、従来の記録であったロジャー・マリスのシーズン61本塁打を大きく超えるハイレベルな二人の争いに全米中が熱狂した。その一方でこの年に打率.303・本塁打37・打点122・盗塁28という成績を残し、史上初の「400本塁打‐400盗塁」を達成していたボンズはこの二人の影に完全に隠れてしまった。人一倍プライドの高いボンズは、「このままでは一番でいられない、ホームランを打たないと誰からも注目してもらえない」 Wikipediaより

これも彼がジレンマを抱えていたという何よりの証拠であろう

画像6

ドーピングは本当にアスリートだけの責任なのか

これは本当に考えなければいけないと思う

僕自身競技スポーツに身を投じている。

いろいろな講習も受けているしドーピングには賛成するわけがない。

絶対に根絶するべきものである

「スポーツ」「ドーピング」は不適切な関係である

これは当たり前のことだろう

スポーツの存在意義は

身体の健康を育んだり人とのコミュニケーションを取っていったり人格的成長を促す意味として大きな役割を果たす

そういった健康的な生活を営んだりするためのツール。

そして社会的価値の高さ

などがあげられると言った

ドーピングは確実にそういったスポーツの概念の足を引っ張ってしまう。

そのうえでもう1つ考えられることがある

「アスリート」「スポーツの存在意義」も不適切な関係になりかねないのではないのか

ドーピングに手を染めるアスリートはごく一部

ただ、そうせざる負えなくなってしまうのは「アスリート」いわゆる「賞を狙い競う人」という性質があるからであろう。

「賞を狙い競う」というのが過度な方向に行きすぎるとそれは確実に「スポーツの存在意義」とは反してしまう

そして、僕たちはその「賞を狙い競う人」というものに焦点を当てすぎなのではないか

焦点を当てすぎた結果様々なものを生んでいる

オリンピックのはこびる商業主義

メディアによる感動演出や一部記録の過度な注目

過激なファンの存在

バッシングや誹謗中傷

アメリカとロシアの政治的メダル競争など

簡単に考えただけでも沢山出てくる

勿論それらはスポーツの本質的な面白さや熱狂が作り上げた

だからこそ今はもう一つ先のステージに行くことが必要になってくる

スポーツが成熟し社会にごく当たり前に根付いた今だからこそもう一歩関わり方を進めることが次のやるべきことなのではないか

スポーツには多様な価値があるとされている

その価値を壊しているのは本当は誰なのか

アスリートがいかにスポーツの存在意義と共存していくかより良い関係を作っていくかはこれからの大きな課題でありこれはスポーツに関わる人みんなが考えていくべきものだと僕は思う

最後まで読んでいただきありがとうございました

他のおススメ記事!


僕はラグビーをやっています。ラグビーの悩みで代表的なのは体重増量について。他のスポーツをやっている方でも体重を増やしたいと悩む方は多いです。

そんな人たちのために僕の今までの経験や勉強してきたことを「体重増量ロードマップ」として作成しました。

体重を増やすにはどうすればよいのか食事からトレーニングまですべてを網羅した内容になっています


いいなと思ったら応援しよう!