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全国男子駅伝134人抜き岡本直己が一線ラストラン〜2025大阪ハーフマラソン

 駅伝のごぼう抜き男として名を馳せた岡本直己(中国電力)が1月26日の2025大阪ハーフマラソンを最後に中国電力のユニフォームを脱いだ。

 この日もモットーの〝前半飛ばして、中盤飛ばして、ラストも〟というのを最後まで見せたかったと5キロ付近では先頭に立ってレースを引っ張った。強風に力を奪われ途中は「キツかった」とも振り返ったが1時間3分27秒、46位でフィニッシュ。競技場の最後の直線では〝笑顔〟になった。

 「何か不思議な感じでした。何かを達成できたわけでもないのに笑顔でゴールできたのが複雑な心境でした」。

 マラソンで世界選手権やオリンピックに出場することを目標にしてきた。世界ハーフマラソン選手権(現世界ロードランニング選手権)で日の丸をつけ、ニューイヤーや全国都道府県駅伝ではエース区間を任され区間賞や最多出場、ごぼう抜きの記録もつくってきた。五輪選考会のマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)にも東京、パリの2度、駒を進めた。それでも最終的な目標に届かなかった悔しさはあるという。

 「マラソンは失敗ばかり、苦労してきた」。

 パリに向けたMGCでも敗れ、ファイナルチャレンジの大阪が終わり、もう目標を見つけられなくなった。外さないと言われていた駅伝でも失敗するようになり「自分の戦う土俵はもうない」と感じ残り1年と決めて気持ちを入れてやってきた。

 ラストランの大阪にもいろいろな人たちが応援に駆けつけてくれた。面識のない人からも「ありがとう」とか「お疲れさま」と言葉をかけられた。ここまでやれたというのは良かったと後悔ばかりではない。

 1月末で陸上部は引退し社業に専念、〝40歳の新入社員〟として新たなスタートを切るがこの日、「思いのほか走れた」こともあって3月の鳥取マラソンへは20回目の完走と優勝を狙って出場予定。今後も市民ランナーとして走り続けていきたいという。

 一線でのラストランを終えた岡本は選手として最後の囲み取材で次のように語った(抜粋)。

Q.ここまでできたのは何が大きかったー

 模範解答のようになってしまうが、やはり支えてもらったというのが大きかった。若い頃は自分の競技力のためという思いだったが、それで喜んでもらえる人がいるという、そういった報告をするというのが途中から支えになっていた。
 きょうもいろいろな方に応援してもらえた。先輩だったり、後輩だったり、地元のランニング仲間だったり、沿道の方も。いとこや家族も来ていた。
 この年齢(とし)までやれたのは応援があったというのが大きかったのかなと思う。

Q.思い出に残るレース、大会はー

 いくつかあるが思い浮かぶのは北海道マラソン。あの景色が見られたのはうれしかった。サブテンとかではなかったがマラソンの優勝ができたのは諦めなくて良かったなと思った。あんなに気持ちいいんだと。それまでのマラソンではゴールしたあとは何も考えられなかったが全然苦しくなかった。高橋尚子さんが言った「すごく楽しい42、195キロでした」という気持ちがあのとき初めてわかった。

Q.後進たちへのメッセージがあればー

 諦めなければいつ何が起きるかわからないというのが陸上競技だと言いたい。私もずっとマラソンで失敗したが、(靴の進化などハード面など含め)諦めなければそういうこともあって37歳で自己ベストを出せることもある。どんなに早い選手(が相手)でも出場できないことも、途中棄権してしまうこともある。ゴールするまでわからない〝諦めなければ何が起きるかわからない〟というところが陸上競技の面白さでもあるので、最後まで諦めないというのが大切だなと伝えたい。

Q.今後はー
 陸上しかやっていなかった。社会を知らない。完全に世間知らずなのでどんな苦労をするかわからないが、やはり1度、フルタイムで働くという40歳の新入社員を体験してみたい。素直に誠実にやっていきたい。

 おかもと・なおき 1984年 鳥取県出身 東伯中ー由良育英高(現鳥取中央育英)ー明治大ー中国電力

▼印象に残ると話した「北海道マラソン2018」に関する動画ニュースなど

▼参考
Net Nihonkai 日本海新聞社が2月10日および11日付電子版で陸上部を引退した岡本直己さんが中国電力鳥取支社に配属されたと報じている。

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