2022年2月23日(水) 埼玉西武ライオンズ 『7』 #背番号のストーリー
noteお題投稿
——————
今日は祝日!noteのお題投稿でいきたいと思います!
テーマは昨日?始まった『#背番号のストーリー』埼玉西武ライオンズ編です。
埼玉西武ライオンズとアフリカの関係ですが、ライオンズのキャラクターであるレオ。手塚治虫氏によるデザインで誕生しました。その手塚治虫氏が描いた『ジャングル大帝・レオ』の舞台は中央アフリカということで、意外なところで?アフリカとの関係はあります!
アフリカの中ではビッグ5と呼ばれる動物が存在し、国立公園などでそれらを全部見るのは幸運とも言われています。その中の一つがライオンです。
ライオン、ヒョウ、クロサイ、アフリカゾウ、アフリカスイギュウを一気に見るのはなかなか難しいですが、いつかレオの故郷・アフリカを訪れ、チャレンジしてみては?
さて、話は戻ります。
『7』は野球界ではラッキーセブンや、ポジションだとレフトを指します。埼玉西武ライオンズの背番号『7』は誰をイメージしますか?
スポーツ好きになった自分のきっかけは松井稼頭央であり、背番号7は代名詞でした。
そんな背番号7ですが、歴代から見てゆきましょう。
詳しいことはここに書いてありますが、
1950年鬼頭政一
→八道勉
→1953年 豊田泰光 (歴代2位の10シーズン背番号7)
→1963年 バーマ
→1968年 浜村健史
→1971年 伊原春植・伊原春樹
→1976年 広瀬宰
→1980年 鴻野淳基
→1981年 石毛宏典(歴代1位・14シーズン)
→1995年 ジャクソン
そしてついに
1997年・背番号7・松井稼頭央の誕生
1997からニューヨークメッツに移籍する2003年まで、ショートの背番号7として活躍。
ニューヨークメッツに移籍した際は、ショートに背番号7のレイエス選手がいた為、彼から両方取るには行かないということで背番号は2+5=7で25番でした。
その後は、
→2005年 片岡易之
→2014年 脇谷亮太
→2018年 松井稼頭央
→2020年 金子侑司
ニューヨーク・メッツ移籍後のショートは中島裕之選手(当時の登録名)が、後釜として活躍しました。
てっきり、背番号7は中島選手かと思っていましたが、ライオンズの主砲の証である背番号3に。
松井稼頭央コーチもトリプルスリーを達成し、強打のイメージが強いですが、元々は脚の速さがピカイチでいつも小坂選手と盗塁王を争っていました。
そうなるとライオンズの7番のイメージはまずは脚が速いという選手に。片岡選手は盗塁王も獲得し、金子選手も盗塁王のタイトルを背番号2と8の時に獲得しています。
金子選手はもともとショートでの入団でその面では松井稼頭央コーチの系譜は継いでいるのかもしれません。
また松井稼頭央コーチが入団時に付けた「32」は、ショートでの飛躍を期待される選手に与えられています。
後に浅村選手が32番を付け、セカンド転向し、背番号3へ。中島選手も浅村選手も盗塁王を狙えるという脚ではなかったので3番になるのは、西武の主砲としては当然の流れだったのかもしれません。
その後、永江選手、山村選手とショートの将来を担うであろうことを期待される選手が32番を付けています。
現在19歳の山村選手が順調に育てば、源田選手・金子選手の後釜として、ショートの背番号7の期待がされます。
ショートも源田選手、7番も金子選手とあって、なかなか越えるべきハードルは高いですが、久しぶりのショートで背番号7が生まれることを、密かに期待しています。
そして、松井稼頭央コーチの背番号は77。今年から一軍のヘッドコーチです。ベルーナドームでこの番号を監督としても見らることを楽しみに。
add
背番号が代名詞になる選手は本当に凄いんだなと思います。51も、55もそうですね。
Sports for Better
Enter to Africa - あらゆる角度からアフリカを知る
『海底で熟成されたワイン - SUBRINA』
南アフリカはワインの一大生産地。世界的にも高い評価を得ています。日本でも徐々に見られるようになってきました。
海底で熟成されたワイン - SUBRINAのワインは南アフリカ・ステレンボッシュから。ケープタウンに近い場所です。
海底で熟成されたワイン - SUBRINA (ギフトボックス付 2019 ACT3) サブリナ 赤 シラー フルボディ 750ml
この記事が参加している募集
サポートは、AFRICA SPORTS FUNDとして活用させて頂き、ケニアの難民スポーツのトレーニング施設の整備費用、サッカー、バスケットボールなどのアフリカスポーツプロジェクトに活用させて頂きます!よろしくお願い致します!