スポーツ指導での体罰はなくならないと思ったそのわけ…
近年問題となっているスポーツ指導での体罰、パワハラ。
自分の感覚では2012年の大阪府桜宮高校のバスケ部の主将が自殺してしまった事件からかなりピックアップされ始めたように思います。
メディアの言っている事なので事の真相や指導者、OBの各々の思いは分からないが、スポーツ指導の中で尊い命が失われ、メディアに激しく取り上げられてしまったのは事実。
そんな傷ましい事件から8年。
かく言う私もどちらかというと体罰には否定的ではありますが調べていくと、これは学校のいじめ問題と一緒でなくならないのではないかと思い今回noteにまとめようと思いました。
こんにちはDr.Tです。
スポーツをする子供を持つ保護者の方や指導者の方に今までスポーツのコーチングに携わって得た知識や経験を基とした考察などを知って頂きたくnoteを始めました。どうぞよろしくお願いします。
1.スポーツ指導における体罰の実態
こちらは平成24~27年の部活動における体罰の発生状況のスポーツ庁のデータになります。
体罰の件数のデータは学校活動と一緒になっているものが多く、見やすい資料があまりなかったので今回少し古いデータですがこちらをピックアップしました。
見てわかる通り、テレビの影響は良くも悪くも大きく、事件のあった翌年には約50%減、3年後には1/10の数に減少しています。
ちなみに2020年5月現在で最新の平成30年度のデータは中学校で72件、高校で113件と数字は横ばい。
報告されないもの、と言うよりは大人が実態を把握しきれていないものやスポーツクラブでのそれらは調査しきれないと思われるので、実際の件数としてはかなり多いのではないかと予想します。
ただ減少傾向なのは間違い無いと思われます。
2.数字の減少から思う事
話を少し戻します、感の良い方ならもしかしたら違和感は感じてるかと思いますが、問題なのは
『メディアに取り上げられたから件数が減った』
と言う事。
つまり体罰をすると、メディアに取り上げられ自身が世間に露出してしまう恐怖。今の時代ならSNS等で全国の不特定多数から叩かれるのは必須。最悪の場合は職も失ってしまう。
そうです。そう言った指導者の深層心理の中では「体罰」に関しては肯定的であるという根本はおそらく変わっていないので、何かのタイミングで爆発してしまう恐れがあるので、これが体罰がなくならないと思ったひとつの理由です。
3.体罰肯定意識
平成の時代に生まれた自分は正直あまり体罰を身近に感じることはなかった学生時代を過ごしてきましたが、思い起こすと若干の鉄拳制裁は学校生活の中では目の当たりにしたような記憶はあります。
年上の指導者や保護者とお話しさせていただくと大抵
「昔は当たり前の時代だった。」
そう言ったことはよく耳にします。
体罰が今まで日本文化に溶け込んでいて、それが根拠はないが自分のためになっているという、する方もされる方も体罰に肯定意識があったのが理由と思われます。
実際、2014年の全国大学体育連合の調査の中でも、体罰を受けた58.4%の人間が
「精神的に強くなった」
22.5%が
「技術が向上した」
10.7%が
「試合に勝てるようになった」
と回答している。ちなみにアンケートは複数回答可。
自分が恐ろしいと思ったのが将来運動部活動等のスポーツ指導者になりたいかというアンケートに対して
体罰経験のある者は
強くそう思う19.6%、そう思う31%
体罰経験のない者は
強くそう思う7.6%、そう思う17.9%
おそらく体罰肯定意識を持った人間が体罰肯定の高い志を持って、スポーツ指導者になろうとしてる数の方が圧倒的に多いと考察します。
この数字を見たときに何か危機感と同時に体罰がなくならない根底を見た気がしました。
4.自身の経験
ここからは余談で、自分が見ていたチームに起きた話と私が思ったことなのでとばして頂いて構いません。
私がコーチをしていたミニバスのチームでも残念ながら暴力が伴った指導が起きてしまったことがあります。
小学生のスポーツ指導でよく見かける、いわゆる保護者コーチが練習ゲーム中にお喋りをしながら得点板をやっていた子達を点の入れ忘れが多いという理由で、怒鳴り散らした挙句、蹴ってしまいました。
他のコーチ達で止めて事無きを得ましたが、私はどうもその時の子供達の恐怖に怯えた顔が忘れられないのです。
子供達のメンタルケアにも色々考えながらあたった記憶がありますが、保護者の中でも問題になり対応に追われる日々が続いた記憶があります。
こういう時、最も時間を割かなければいけないのは当事者や監督と保護者との間に挟まっている自分の様な人間なんで結構大変な思いをしました(泣)
若輩者の私がいうのも何ですが、暴力暴言をスポーツ指導の中で伴う様な指導者は自身が未熟かつ、自己コントロール能力が低い様に思います。
5.最後に
前述した体罰肯定意識を持った大人にほど
「子供のためを思って」
とか
「殴る方の手も痛い」
などと訳のわからない自分を肯定する言い訳を後付けで言ったりします。
私は何事も内発的動機がないと身にならないと思っています。
怖いからやる。殴られるからやる。嫌なこと言われたくないから頑張る。
それでは本質的な力、考える力には繋がらないと思っています。
体罰は必要ない
賛否はあると思いますが私の考えです。
最後まで見て頂いてありがとうございました。
これからも週一本のペースでスポーツの指導に関すること発信していこうと思いますので見てくだされば幸いです。
よかったらフォローとハートボタンもよろしくお願いいたします。
それではまた来週。
Dr.T