新入社員とパワハラとフルメタルジャケット

あなたは、希望に満ちた新しい環境に身を置いた時、いきなり上司に〝微笑みデブ〟とアダ名を付けられたらどうするだろう?

新入社員の多数が勤まらずに辞めていく時代。
いきなり上司に「おい、微笑みデブ君、これコピー取ってきてくれ」と言われたらどうするだろう?
多分、多くの人はSNSに書き込んで、それがSNSの監視癖のあるキモい上司にバレて怒られるか、それとも落ち込んで辞めるかのどちらかだろう?
だが、ベトナム戦争に従軍する海兵隊の新兵訓練学校では、有無を言わさずに鬼教官からそんなアダ名で呼ばれて、人間性を否定される暴言を吐かれて殺人マシーンになるべく訓練される。

もう一度言う、〝微笑みデブ〟である。

そして、この映画で微笑みデブと名付けられたグズの新兵は、見事に人間性を破壊されて名付け親の鬼教官を射殺して卒業を迎える。自殺という代償を伴って。

普通、戦争映画は二種類に分けることが出来るのではないだろうか?
それは、『反戦映画』と『好戦映画』とにである。
そして、戦争映画は、常にどちらかに利用されてきた。
だが、スタンリー・キューブリックが描くこのベトナム戦争を題材にした映画は、どちらにも属さない。
キューブリックが描くこの戦争映画は、戦争が狂わす人間の狂気を描きつつも、どこかスタイリッシュであり、戦争を肯定も否定もせず、ただ戦争という現実をひとつのアートの題材として扱っているに過ぎないのだ。

「本当に戦争は地獄だぜ!」と笑いながら無抵抗なベトナム人農民を次々と撃ち殺していく狂ったヘリの狙撃手。(ほんの数分ながら、映画史上に残る名シーン)

この美しく狂気に満ちた戦争映画が伝えたい事。

それは、映画はプロパガンダではない、純粋なアートであり、そしてそれこそが映画であるという事ではないだろうか。

例えそれが狂った戦争を題材にしていたとしても、いや、狂った戦争を題材にしているからこそなのかも知れない。

ラストシーン、まだ少女のベトナム人スナイパーを撃ち殺した後、戦場の行進を続ける兵士達が合唱するミッキーマウスのテーマソング。
それは、母国への帰国を夢見たものなのか、それとも戦争の狂気(あるいは人間の幼稚性)の成れの果てなのか。

R・リー・アーメイに捧ぐ

おわり

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?