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失われた香りを求めて


遅ればせながら新型コロナに感染し、5日かけてやっと回復した。しかし、まだ喉の痛みと鼻炎が続き、本調子にはほど遠い状態である。紅茶を飲んでいたとき、ふと気づいた。いつもの味がしないのである。正確には、香りが感じられない。香りのない紅茶は、まるで濁った白湯のようで、まったく心が躍らない。

以前、テレビで浅草の老舗和菓子店の職人へのインタビューを見たことがある。職人に和菓子を作る際の心得を尋ねたところ、「昨日の味を超えないことだ」と答えていた。昨日よりも美味しく作ることを目指すのではなく、「超えないこと」と言われ、インタビュアーが戸惑っていたのが印象に残っている。この言葉には、伝統の味や香りを守るという深い意味が込められているのだと思う。

記憶と味や香りは密接に結びついている。久しぶりに和菓子を食べると、昔の記憶が鮮やかに蘇り、過去の情景や感情がありありと思い出される。過去の偉人たちが味わったであろうその同じ味を通して、時を超えて彼らに思いを馳せることができる。これこそが、職人の意図であると思う。

もしこのまま嗅覚が戻らなければ、香りとともに過去の記憶も失われてしまうだろう。マドレーヌを紅茶と一緒に楽しむひととき、そんなことをつい考えてしまう。

紅茶の香りが戻り、再びその豊かな香りを楽しめる日が来ることを願いながら、今はただ回復を待ち望んでいる。

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