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内側から自然に溢れるもの『とにもかくにもごはん』を読んで
読みました。
小野寺史宜『とにもかくにもごはん』講談社, 2021
人はなぜボランティアをするのだろうか。
フト、読後に考えてしまった。
突然の事故で夫を亡くした松井波子は、「クロード子ども食堂」を開く。
そこに集まる子ども達は、「物わかりの良い」「大人が望む返事」をする。
大人を観察して見極めている姿は、冷めた現実味がある。
保護者である大人達は、損得勘定で物の見方を子どもに教えたり、人生に悔いる何かを抱えたりしている。
子ども食堂のフィルターを通して、生きづらさ、葛藤を持つ大人の姿が前にでてくる。
著者小野寺史宜は、喉に刺さる小骨のような「格差」を描くのがうまい。
大学生の凪穂(なぎほ)は、就職活動のポイント稼ぎに食堂でボランティアをする。そのことに開き直りつつ、屈折した感情にも気づく。最初は、突発的な出来事に対処できずに固まってしまう。
しかし、終盤は展開がみられる。
失敗してもいい。打算から始まってもいい。自分に出来ること、アイデア出し。閃いたサポートのかたち。
個々の思惑の合間をぬって、伏線も張られる。
「なぜボランティアをするのか」。ひとりひとりが違う意味を見出しかける様子に、光が当てられる。
救いたいと思っての行為。提供していると思っての立場。
実は、救われているのは自分だったりするのか。
本著を通勤電車で読書中、文中の「ふっくらした豆腐ハンバーグ、バナナケーキの温かさ」に食いしん坊はお腹が鳴った。
つい読みふけり、電車を乗り越して2つ先の駅まで行ってしまった。
管理したり、所有したりの領域から離れ。
人と人。こどもと大人。ボランティアの場には、対等であり、評価によらない関係性があるのかな、と。好きな事だから内側から溢れ、ボランティアというかたちを借りて手を添えたくなる。自然の発露。
美味しいごはんが食べたくなる、秋にぴったりの本かもしれない。