ファーストエイダーの役割は、 “何か問題がある”ということに『気づける』こと
山田睦雄
日本スポーツ協会公認スポーツドクター
PHICIS JAPAN(Pre Hospital Immediate Care in Sport JAPAN)代表理事
PHICIS JAPAN(Pre Hospital Immediate Care in Sport JAPAN)の代表理事を務める山田睦雄先生。スポーツ現場の安全性に課題を感じ、Pre Hospital Immediate Careの知識と技術を伝え、ファーストエイダーの育成に力を注いでいらっしゃいます。
山田先生は言います。「大切なのは、現場でさまざまな症状・徴候に気づけるかどうか。そして、それらに気づくためには知識を得るだけではなく、現場で実践活用できる知識にできるかどうか」。スポーツの現場の安全を守るために必要なことは何なのか。そのために取り組んで行くべきことは何なのか。現場の最前線で活躍されている山田先生に、じっくりとお話いただきました。
――あらためて、まずは全世界で活用され、ラグビーワールドカップ、東京五輪を始めとするスポーツの国際大会に関わるドクターが保持する、国際救急対応ライセンスであるPHICIS(Pre Hospital Immediate Care in Sport)が、どのようなものかを教えてください。
山田睦雄(以下山田):PHICIS(Pre Hospital Immediate Care in Sport)は、スポーツ現場における「病院前医療(Pre Hospital Immediate Care)」のことを指します。日本では、救命救急という形で、災害時の対応などでの『Pre Hospital Immediate Care』は存在していますが、スポーツ現場での『Pre Hospital Immediate Care』のライセンスというのはずっとない状態が続いていました。
しかし、オーストラリアやニュージーランド、香港、シンガポール、カナダなどの海外のスポーツドクターはすでに一般的に持っているライセンスでもありました。とくにカナダはこの『Pre Hospital Immediate Care』のほかにもスポーツ救急のコースがあるくらい、海外では普及しているものであり、一般的なものでした。そうした現状を知り、私の恩師でもあるアンディ・スミス先生の協力もあって、日本にもPre Hospital Immediate Careの文化を取り入れよう、ということでPHICIS JAPANを立ち上げることになりました。
――お話をうかがうと、日本スポーツ界の現場における医学、医療の普及というのが、海外に比べると遅れている印象を受けてしまいます。
山田:実は遅れている訳ではなくて、病院で行われているスポーツ医療に関しては、海外に全く引けをとらない、むしろ世界でも最先端を行く技術を持っている先生方がたくさんいらっしゃいます。問題は、スポーツ現場の医療対応についてトレーニングするコースが国内になかったことだと思います。何でもできる安全な病院で行う治療と、スポーツ現場において目の前で起こった事故や外傷への対処や対応は、 また別の話なのです。
病院であれば、CTがあってMRIがある。時間をかけて検査して、症状を診て、治療ができる。でも、そういう機材がない現場では、できることをやるしかない。そのなかで、救急車を呼ぶ必要があるのか、現場での応急処置で対応できるものか、脳振盪の場合はどうするのか......。そういう判断を、現場でいち早くしなければならないわけです。つまりスポーツ現場と病院での医療の違いを理解し、そして現場から病院への医療のつなぎこそが、PHICISの役割なのです。
そこで、ワールドラグビーは2000年あたりから Pre Hospital Immediate Careのライセンス(Immediate Care in Rugby-ICIR)を取り入れて、2019年のラグビーワールドカップでフィールドに立つためには、このICIRのライセンスまたはそれと同等であるとWorld Rugbyが認めたライセンス(PHICISの資格が該当)がないといけない、ということになっていました。さらに東京五輪もあり、そこでも現場に立つドクターの方々がPre Hospital Immediate Careの研修を受けなければならない、ということになったことで、日本でもスポーツ現場でのPre Hospital Immediate Careの考え方が広まっていきました。
――現場の医療を支えるPHICISのなかで、最近アップデートされた情報などはありますか。
山田:毎年内容のマイナーチェンジはあります。意識レベルの評価において言葉に反応するのかどうか、それとも痛みに反応するのかなどで評価をするのですが、こちらにおいてもマイナーチェンジがありました。たとえば、言葉に反応するけれど、そこに混乱がみられるかどうか、ということがマイナーチェンジされた点ですね。
また、最近話題になっているのは、ネックカラーの問題です。選手が脳振盪や頭部外傷にて意識レベルが低下した際に、担架で運ぶとなったときに、今まではネックカラーで頚部を固定してから担架に乗せる、という手順がありましたが、最近はネックカラーはいらない、という国もあります。
この理由としては、ネックカラーが正しく装着できていない場合が多いというのが理由の一つでもあります。また、いくつかのリサーチにおいては、ネックカラーを装着することで頭蓋内圧を上昇させてしまう可能性があるか、脳への血流を阻害する可能性があるという意見も出てきました。一方で最近、イギリスでのリサーチによれば、ネックカラーをつけていたほうが、ストレッチャーに載せる際に徒手的に固定するよりも頚椎の動きを抑制でき固定性が良好である、という話や血流抑制や頭蓋内圧は上昇させないという意見も出てきておりやはりネックカラーは必要であるという意見もあり、この点においてはまだ結論は出ていません。ですから我々は正確にネックカラーができるようにトレーニングされていれば使用することを薦めています。
現場のPre Hospital Immediate Careはその時々によって状況が違いますよね。いつも医療に長けた人たちばかりが対応できるわけではなく、一般の医療資格を持たない人たちが手伝わなければならない場合もあります。そういう場合であれば、より安全性を担保したほうが良いわけです。であれば、スクープストレッチャーを使うときでも、ネックカラーを使ったほうが良い場合もある、ということです。
なので、コンタクトシチュエーションで起こった頭部の外傷なのかどうかで対応も違いますし、意識があったとしても状況によっては対応が変わっていきます。そういうトピックは、常にアップデートしてPHICISの講習会で伝えるようにしています。
――PHICISの今の課題は何でしょうか。
山田:現状、医療者向けの講習会になってしまっているところがあります。今後私たちが展開したいのは、現場に医療資格者がいない場合のファーストエイダーの養成で すから、もっと医療従事者以外の人たちにも、PHICISのファーストエイドコースを展開しなければならないと考えています。
たとえば、平日にスポーツの大会があったとして、現場に派遣できる医師の数はごく限られています。そうすると、ファーストエイダーとして現場で対応しなければならないのは、医療関係者ではない、指導者や保護者の人たちです。医療資格を持っていないスポーツの現場に携わる人たちにも、Pre Hospital Immediate Careを広めることが、現場を守る意味では非常に重要になってくると考えています。ですので、そういう意味ではスポーツ医学検定と非常にリンクするところもあります。スポーツ医学検定をきっかけに、ファーストエイドに興味を持った方々には、ぜひPHICISの講習会を受講してもらって、スポーツをより安全に行える環境づくりを広めていきたいですね。
――PHICIS JAPANのサイトを拝見しましたが、LEVEL2、3というのは、医療資格を持っている方々に向けたものですが、心肺蘇生法や外傷発生時の初期の対応の基礎的な内容を学べるLEVEL1は、資格は必要なく、スポーツに携わる人なら誰でも受講できるものですね。
山田:そうなんです。ここが充実してくると、国際大会などの大きなスポーツ大会だけではなく、医療資格者に帯同を依頼できないような小さな大会などでも、より安全にスポーツが行える環境が構築されていくのではないでしょうか。
しかし、ただ広めれば良いか、というとそうではなく、やはり、内容を正しく伝えるためには、質が担保されていないといけないと思います。そのためにはインストラクターの養成もしなければなりませんから、そこは慎重に取り組まなければならない点です。
たとえばトレーナーの学校に通う学生さんや、医学部の学生さんなど、学生として学んでいる段階からスポーツの現場に出たときに何をすれば良いかを学んでおくのが良いと思うので、その点が私たちの次の使命かな、と考えています。
――その点も含めて、今よりももっと多くのスポーツに携わる人たちがPre Hospital Immediate Careを知り、実践できるようにしていきたいですね。
山田:ファーストエイダーの役割は、“何か問題がある”ということに『気づける』ことなのです。大事なのはこの『気づける』人たちを養成することです。もし事故が起こったときに、その選手に意識があるかどうか、言葉に反応できているかどうか、引いては呼吸があるかないか。その症状に気づけることで、次の対処ができるようになります。
たとえばですが、倒れて意識がない選手がいびきをかいていたとします。それに気づくことができれば、舌根沈下が起こってしまっているということがわかるわけです。この状況に気づければ、救急車が来るまでの間に道具を使わなくても気道確保の処置をすることができます。これこそ、ファーストエイダーの大切な役割であり、それを伝え、広めていくことが私たちPHICIS JAPANの役割だと思っています。
――安全にスポーツをするためには、それに携わる多くの方々が、安全に対する知識を持つことも大切ですよね。
山田:そうですね。それに加えて、得た知識をちゃんとアウトプットできるようにトレーニングする、ということも重要です。私がよく学生さんにお話するのは、「知っていることとできることは違う」ということです。
なので、私たちはやっぱりファーストエイダーの方々には知ってもらうこと、そしてなおかつ、できるようになってもらいたいと思っています。それはPHICIS全体に言えることだと考えています。
やはり、選手がハッピーになるために私たちのようなバックヤードの人間が必要である、と思っています。保護者の方々もそうですし、指導者もトレーナーも、スポーツに関わる医療関係者もそうだと思うのです。みんながひとつの事故に対して正しいアクションを起こせば、整理されて適切な処置になる。でも、知らない人、知識のない人たちばかりだと、現場の収拾がつかなくなってしまう可能性が出てきてしまうのです。そういう意味でも、Pre Hospital Immediate Careを学んだ人たちがたくさん現場にいたほうが動きや対処が整理されるようになる。そういう人たちをたくさん育成することがスポーツの安全を守るためには大切だと思っています。
これは講習会でよく話をすることなのですが、「目的はライセンスを取ることではなく、選手を守ることなんですよ」と。たとえば運転免許だって、ライセンスを取ることが目的ではなくて、その先に車を安全に運転することがあって、さらにその先には交通事故のない世の中が広がっているわけです。
私たちが学ぶことで、選手がハッピーになる。そういうスポーツの現場をつくり上げることこそが、私たちPHICIS JAPANの大事な使命だと思っています。
――本当にそのとおりだと思います。本日はお忙しいなか、貴重なお話をありがとうございました。
◇プロフィール◇
山田睦雄(やまだ・むつお)
弘前大学医学部卒業、弘前大学医学部大学院医学研究科修了、博士。埼玉医科大学総合医療センターリハビリテーション科講師、流通経済大学スポーツ健康科学部教授を経て、2022年に同学部学部長に就任。ラグビーをやっていて整形外科の医師だった父の影響で自身も同じ道へ。2005年にニュージーランドで行われた脊髄損傷予防プログラムの取り組みに共感し、現地に赴く。そのなかで現場のマネジメントの大切さも実感し、2012年にアジアで始めて行われたPHICISの講習会に参加。日本で広めたいとの使命感から2014年から日本人講師の養成を開始し、2017年にはラグビー以外のメディカルスタッフが参加するまでに広まった。2021年にPHICIS JAPANを設立し代表理事を務める。日本リハビリテーション医学会認定リハビリテーション科専門医、日本スポーツ協会公認スポーツドクター、日本パラスポーツ協会公認障がい者スポーツドクター、World Rugby Medical Course Trainer、England Rugby Pre Hospital Immediate Care in Sports Instructor。
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